[コメント] ウィークエンド(1967/仏=伊)
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素敵な画が続く。車で出発の寸劇も、渋滞無視も、突然の大雨も、廃車群が羊に化ける件も、ジャン=ピエール・レオの狂ったサン=ジュストも、ドラム叩く解放戦線の基地も、最後の銃撃戦も。これらの画はゴダール=クタールの傑作、こんな美しい構図と色彩を映画で観られるのは今に至るまで稀なのだが、それらが同時に愉しいB級アクションの連発であるのが素晴らしい(引用満載であるそうな)。
私がとりわけ好きなのが、農家の中庭でモーツアルトが弾かれ、キャメラが二連続360度パンから逆回転する件で、夢に出てきたことがある。アンゲロプロスは大いに影響されたに違いない。ここだけギャグ少な目でアンヌ・ヴィアゼムスキーまで出てきて神妙になる。おそらくマオイズムの農村賛美の反映なのだろう。ふたりの爆走が自転車を転ばせるアクションや、コスプレによるルイス・キャロル(ブロンデ?)のナンセンス詞朗読の件(最後は燃やされる)も忘れ難い。
全編にわたる流麗なクレーン撮影による長回しの躍動感は「雨月」の字幕も出てくる(舟が漕がれる)ミゾグチ世界。軽視されていると思うのだが、表層だけでなく内容もミゾグチ映画が参照されているのであり、『雨月物語』がどういう話だったかを思い出しながら観るべきだと思う(解放された奴隷が乱痴気騒ぎを起こす『山椒大夫』がさらに近いか)。
政治的主張は一箇所だけ、ゴミ運搬車を背にアフリカ人とアラブ人が『ワン・プラス・ワン』風に語る件がある(ゴダールとしては珍しいことに、前半の名場面が回想インサートされる)。その主張はゲリラ戦のための武装とその成功事例の羅列、いま観ても生々しいものがある。本作はカニバリズムのラストでこれら主張の破綻を予告しているようにも見えるが、カニバリズム上等と語っているようにも取れる。この微妙な処がブラック・ユーモアの肝で、常識的には前者だが、後のゴダールを想えばむしろ後者寄りなのだろう(反ソは既に主張されており、ブルジョア娘と農民が口論の末に肩を組む件は最後にソビエト国家が馬鹿馬鹿しく流される)。
冒頭に10分ほど、男女が影になり女が3P体験を語るとんでもない件がある(これは終盤の、股間に魚差し込むような性的放縦の件と対照されているのだろうか)のだが、次作の『ありきたりの映画』になるとこの手法は全面フューチャーされ、ただ藪の中で顔も見せずに語るだけの映画になる。
私はこれ以降の政治的隘路を縫って歩いたゴダールも大好きなのだが、生真面目になっちゃって、本作のような笑いが滅多に見られなくなったのは惜しいことだと思う。ユーモアの欠如は反体制派の悪癖ですよ。本作はゴダールの文脈から離して、『キャッチ22』と並ぶ政治的ブラック・ユーモアの傑作、という擁護の仕方もアリかと思う。
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