[コメント] 荒野の決闘(1946/米)
活劇としての西部劇を偏愛する者としては、このジャンルに文芸映画のような緩やかなリズムなど不要だし、詩情なんかより目の覚めるような暴力を描いて欲しい。
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映画を見終った人むけのレビューです。
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『荒野の決闘』に関する言説というと必ず「詩情豊かな」という言葉が出てきます。確かに、ヘンリー・フォンダの、あの足の長い体躯を椅子と柱を使って横の構図に捉えるシーンから始まって、「砂漠の花の香りがします」という香水の香りに関する愉快なやりとり(「that’s me」の台詞の間の絶妙なこと!)、そしてクレメンタインと腕を組んで教会へ歩いていく歩度の緩やかさへと繋がる一連のシーンの豊かな時間表現は、疑いなく最高の演出です。
でもね、どうも『荒野の決闘』は西部劇というより、フォードのFOX時代の文芸映画、『我谷は緑なりき』や『怒りの葡萄』『タバコ・ロード』の系譜のよな印象を受けるのです。 活劇としての西部劇を偏愛する者としては、このジャンルに文芸映画のような緩やかなリズムなど不要だし、詩情なんかより目の覚めるような暴力を描いて欲しいと思うのです。
しかし、ラストの決闘シーンの演出は素晴らしいですね。この馬車を横切らせる演出は、『幌馬車』の決闘シーンでも使っていました。 クラントンの親父、ウォルター・ブレナンが決闘の後、やっつけられた息子達の名を呼ぶシーンも忘れられません。
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