[コメント] ペイ・フォワード 可能の王国(2000/米)
「善意」に胡散臭さを感じるか? でもそれだけじゃないでしょ。
そりゃぁ「つつましさ」を規範とする日本人にとって、「善意」の押し付けには胡散臭さを感ぜずにはいられない。
「次へ渡す」為には相手に自分のした行為を「善意」として確認させねばならない。「○○してあげたよね。嬉しいでしょ?」と。
と、ここまで考えて、この映画のアイデアは素晴らしかったのに、何だか色褪せてきてしまった・・・
でも、もう一度考えてみた。
「○○してあげたよね。嬉しいでしょ?」という感覚は相手がいる場合にはとてもいやらしく聞こえるが、彼等が行った「善意」という行為は、相手に対してというよりも、自分自身に対しての挑戦だったことに気が付いた。
過去のトラウマや贖罪意識。彼等は「善意」という行為に名を借りて、自分自身の問題を突破していったのではないでしょうか?
この作品の中で何度も繰り返される「世界を変える」というとても実行不可能なお題目も、実は世界の中の最小単位である「自分自身を変える」という誰にでも出来る(いや、出来るかもしれない)というとても簡単な答えが用意されていたのでしょう。
「世界を変える」なんて、とても出来そうもないし、誰かがやってくれそうだけれども、「自分を変える」のは自分しか出来ないのですね。
自己満足で終わる「善意」でなく、ちょっと勇気をだして「自分を変えて」みようかな、なんて考えるきっかけを与えてくれた気がします。
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