[コメント] ハンニバル(2001/米)
殺人の深淵を巡る先生と生徒のいけない恋は教室の中で行われてこそドキドキものだったのに、不良に堕しちまったお嬢様と正義の味方になっちまった先生、はみだし者二人が恐怖のレストランで堂々とデートしてたってムラムラしません。
前作における蝶というモチーフが暗喩していたのは次のようなものだった。
成虫…怨恨や利害の絡まない純然たる殺人という行為の深淵を理解している者。
幼虫…既存の倫理観という限界に自らを制約し続けている者。
さなぎ…前者を理解しかけている後者=クラリス
幼虫の倫理観という限界を理解しつつそれを内に観てしまうレクターの内的宇宙と、そのブラックボックスの中でクラリスが幼虫から蛹になり成虫になってしまいそうになる危うさがシリーズ(?)の肝だったのであり、そこに禁断の愛を見出せたとしても、深淵の支配者とその中を彷徨う一匹の蝶、蛹(=生徒)と成虫(先生)の目線の違い、両者の性質の差を踏まえた上での恋愛だったはずだ。それを、恋愛というキーワードだけ抽出して、かたやを女ダーティ・ハリーに、かたやをダーティー・スーパーマンに仕立て上げて、てんやわんやのドタバタを演じさせた挙げ句、あの結末とは…。ジョディ・フォスター云々だったらじゃない。キャラクター造型からして
あれはクラリスじゃない。
あまりに別の映画になってしまっていたので、楽しもうと思えば楽しめるのが救いか?
リドリー・スコットは、コントロールで勝負できるタイプじゃない。まぐれ当たりに期待する剛速球タイプ。これは全くの逆玉でした。
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