[コメント] クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲(2001/日)
このアニメ映画には驚くべきことだが確固たる「思想」がある。
日本映画が、そこで展開される物語の中に「思想」を内包し得たのは、奇しくも本作品内で描かれた1970年前後までのことであった。
そもそも映画の「思想」とはなにか。これは単なる「メッセージ」や「教訓」「政治思想」では到底あり得ない。作家が自分の生きる時代を正確に分析し、その上で自己の揺ぎ無い主張を、単なる言葉(=台詞)、表情、態度ではなく、(登場人物たちの)行動(及び選択、或いは苦悶)に託して展開する作品にのみ生ずる。
例えば、寺山修司が『田園に死す』他で描いた「家出」や「親捨て」、長谷川和彦が『青春の殺人者』他で描いた「親殺し」「原爆生成」などの行為は、「時代の流れ」とか「運命」とかいったものに対する毅然とした挑戦であり反逆であった。当時先鋭的と誉めそやされた多くの同時代人が「時代(の空気)をありのままに活写すること」ばかりに終始していた他所で、上記二人が「撮った行動」は明らかに異彩を放っており、だからこそこの二人(の作品)が時代の壁を越え新たなファンを獲得し続けているのではないだろうか。
では本作『嵐を呼ぶモーレツ大人帝国』にはどのような「行動」、「思想」の練り込められた、があっただろうか?
無論、それはヒロシの、「靴の匂いを嗅ぐ」、であった。
この行動に込められた真の意味を理解せずして、「やっぱ家族が一番だなぁ」とか「過去は過去だもんねぇ」とか口に出してみたところで実際には何も変らないだろう。
だからこそ、この映画のことを思い出した時、自分の履き慣れた靴の匂いを嗅いでみることが肝心なのである。そこにはアナタが今まで生きてきた証拠があるのだから。
*この映画を楽しむのに、万博世代だったり、春日部在住だったり、結婚して子供がいたり、昔からのクレしんファンだったり、『千と千尋の神隠し』を引き合いに出して比較する必要が、あるとは到底思えない。どれにも当てはまらない私でも充分に、というより涙が頬に零れ出るほど感動したし、いいたいことは判ったし、機会があればまた観たいと思った。改めて云うまでも無く日本映画の普遍的傑作の一つです。
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