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[コメント] A.I.(2001/米)

鑑賞する側の前提条件として不可欠なもの、「キリスト教的世界観と照らし合わせる目」がなければ、単なるセンチメンタルかホラーになってしまう可能性も。日本では「感傷」よりも、多くの「困惑」が向けられてしまうことになったのは、ある意味当然のこと。
かける

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2001年宇宙の旅』とも相通じる聖書的世界観。 キューブリックが、現代の神話のストーリーテラーになりたかったのであれば、この作品に対してある種の志向を持ったとしても不思議はない。

ここでポイントになるのは、この作品から見てとれるのは「新約的世界」ではなく「旧約的世界」だ、ということ。

つまり、キリスト教的世界観の中でも、アメリカで一般的なプロテスタントよりは、カトリック的な色合いをより強く持つことにもなり、さらにはユダヤ教やイスラム教と共通の聖典の価値観ということになる。

そういった形で、一般的な日本人の持つ宗教観や世界観との隔絶、断絶を考えると、多くの観客が持った「?」の存在は当然だとも思うし、単純な感傷のみが向けられることになったとしても、しかたがないとも思う。

他のコメンテータの方も「創世記」との比較考察を書かれていたが、たしかに新しい時代の、新しいハードウェアとしての人類、文明に対する「新しいソフトウェア」としての「“新”創世記」といった趣もあるかもしれない。

ただ、そうなったときに、ヤーウェは一体どこにいるのか、それは誰なのか、という論議もまた出てくるのだろうし、それこそ「仰ぎ請い願わくば」本作が「バベルの塔」になっていないことを祈りたくもなる。

スピルバーグは七つの大罪の一つを犯してしまっていないか?

そういった方向から考察を重ねてたどりついたのは、スピルバーグが一体どこを向いているのか、何を指向しているのかが「いよいよわからくなってしまった」……という地平だった。

そこではどんな獣が涙を流しているのだろうか。

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また、個々のエピソードを個別に取り上げると、映像的な表現の「幼児性」に困惑させられてしまうこともしばしばだった。

例えば『バック・トゥ・ザ・フューチャー』であればそれがプラスに働く部分は多かったと思う。しかし、このように壮大で叙事詩のようなスケールの作品に、ロボット解体ショーの中華世界的拷問のドギツサや、オートバイの造形のマンガ的モデファイはそぐわない。

そして、一番「幼児性」が現れていたのは、もしかしたら再三協調される母親の「乳房」の描写かもしれない。 イブニングドレス等々、再三乳房を強調するスタイルで登場する母親。最初は、母性を求めるデヴィッドの希求する象徴かとも思ったが、2000年後に復活した母親が(少なくとも)半裸でベッドに横たわっていたことをして、彼の求めていたものを「母性愛」としたかったのか、もっと汎用的な概念としての「愛」としたかったのかが、わからなくなってしまった。

しかし「作り手の愛情の対象であり、かつ憎悪の対象になってしまう」という「レプリカとしての“自己矛盾”」を誕生直後に「克服」しなければいけなかった「アトム」と比較すると、デヴィットの自己崩壊っぷりはある意味見苦しい。

もっとも、2000年かけてコケの一念岩をも通す……とできたのであれば、そのゴリ押しにもある種のリスペクトを払おうか、という気分にもなってしまったのだけれど。

(評価:★3)

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