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[コメント] もののけ姫(1997/日)

真のテーマは「生きろ」ではなく、「死ね」だと思う。だから観ていて不快だ。
uyo

「生きる」と言う事は「エゴ」そのものだ。その事を否定すると、生命は活動を停止する。「エゴ」は、自分に敵対する存在を排除し、自分に益をなす存在を取り込み、選択する。そうしないと、「生きて」ゆけないからだ。二酸化炭素を吐き、酸素を吸うように。

だから、全てのエゴを放棄し、本質的には敵対する「自然」を「守ろう」とする無防備な行為は、「自らの死」と限りなく接近する事となる。しかし反対に人間が、エゴによって「生きる」ことは、止め処もない「自然の破壊」を生み、「種の死」に近づいてしまう。つまり、自然(=自分以外の世界)を肯定しても、否定しても、どちらにしろ、最終的に人類の存在は「死」につながってゆくのだ。

敵対する「人間」同士の場合も同じ事が言える。家族や愛する者を守り、「争いたくない」はずのアシタカも、自分に弓を向ける武士達に対しては、容赦なく腕や頭をもぎ飛ばす。そうしなければ自分や「罪のない人」が殺されるからだ。

この作品を観ていると、「おまえが生きたいと思う事は、お前のエゴなんだよ」と、当たり前の事を言われてむかつく(笑)。そして結局、「生きる」ためには、どうにも「中途半端」な所を、自分なりに「選んで」、歯を食いしばって「それなりに」進んでゆくしか方法はない、と言う結論なのかと思う。それは、やはりある意味「小さな死」だ。

「生きるために死ね」と、最善で唯一の選択として、この作品は叫んでいる。「エゴ」に生きる身として、観ていて心地よくなく、単純なカタルシスを感じない所はそこだったのだと気付いた。

「みんなにとって一番いい方法」を、「きちんと」選んで、「しっかりと」進んで行こうとしていたそれまでの宮崎アニメとは印象が違った。それなら「エゴ」も満足し、気持ち良く観終える事が出来たはずだ。例えその矛盾に目を隠し、微笑みながら現実の谷底に落ちて行ったとしても。

しかし、同時に女が言う。「生きてりゃ何とかなる!!」

・・・「何とか」するしかないし、「何とか」するべきだし、必ず「何とか」出来るはずだと。「生きて」いれば。

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以下は、自分が個人的にわからない事のメモです。研究書とか資料とか全然当たってないので、適当な事ばかりなので、すみません。ネット上にはもっと詳細なテキストがちゃんとあると思います。

■アシタカは蝦夷。東北地方の縄文文化。三内丸山遺跡など。■奥出雲、たたら、鉄文化、牛の文化。銃に龍の模様、奥出雲に伝わるヤマタノオロチの伝説。

■武士、騎馬民族(大陸から?)水田、米文化(弥生文化より直系)。あさの公方(くぼう=鎌倉末期から室町・江戸時代、将軍の尊称。「―様」(以下、goo国語辞典))■ジゴ坊、帝の書き付け。不老不死を願う、時の天皇。ししょう連(?)唐傘連(?)。地走り(忍者武芸帳?)。

■猩猩(しょうじょう=中国の、想像上の動物。猿に似ている。)■「鎮西のオオコトヌシ、海を渡ってきた」(ちんぜい=〔大宰府を鎮西府といったことから〕九州の称。)

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初見時から附に落ちない事が一つ。何故あえて、業病の人達に「武器」を作らせたのか。その人達が、最後に治療されてしまうのは、安易な表現なのではないか。疑問が残る。

それから、どう見ても将来を誓い合ってるっぽい、かわいいカノジョからもらったお守りの黒曜石を、サンにあげちゃうのは何故?もう一回観ればわかるのかな。

あれ?妹かな?

(評価:★5)

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