[コメント] アザーズ(2001/米=仏=スペイン)
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自明だと思われていた足場がいきなりぐらつく。その足場が自明であればあるほど、それをひっくり返すときの「サプライズ」が際立つ。生者と死者がそっくり反転するというこの映画における仕掛けは、「自分たちが生者である」という足場の自明性、その盲点を衝くものだった。ところで本当は、生死をひっくり返すという仕掛け自体にも、それをさらに下で支えている足場が存在する。それは、死と生を厳密に分かつ境界線である。死と生を反転させるためには、その反転軸となる境界を前提しなければならない。
「死んでいたのは彼らではなく、私たちだった」……そもそもこの「アザーズ」(他者)という発想じたいが、死と生、あるいは「私たち」と「彼ら」を厳密に分かつ境界線の存在を暗黙に前提している。その境界線自体の自明性がぐらつくことはない。だからそこで仕掛けられた「サプライズ」も、その自明性を前提としているがゆえに、決して見る者の想像力を超えることはない。いたって予定調和的で現実的なもの、つまりちゃんと「タネと仕掛け」のある「手品」のようなものなのだ。それを見る者は手品に驚き、明かされるタネと仕掛けに感心はしても、十分に想像可能なサプライズであるがゆえに、それ以上の感動を得ることはない。
もちろんそれがこの映画の売りなのであれば別にそれでも構わない。だが、何名かのコメンテータの方々と同じく、私もまたこの映画に『ミツバチのささやき』に似た空気、あるいはそれに似せようとする作り手の意識を感じてしまっただけに、あの映画には確実に存在した「魔術」、のようなものを期待してしまうのだ。「手品」ではなくて「魔術」。タネも仕掛けもない、全く根拠のない荒唐無稽さゆえに、映画でしか表現することができない、見る者の想像力を超える「魔術」。此岸(現実)と彼岸(虚構)の境界が融解してしまったような空間で、生死の境界を超えて注がれるアナ・トレントの眼差しを媒介として、月明かりのもとフランケンシュタインが姿を現したような。そんな「魔術」が欲しかったのだ。手品には、見る者をいっとき驚かせる力はあっても、魔術が持っているような想像力を揺さぶる力はない。そして後者こそが、本当の「サプライズ」をもたらしうるものだと私は確信している。
ニコール・キッドマンの息を呑むクラシカルな美しさ、光と影の戯れ、ゴシックホラーの様式美。しかしそれらはすべて表層のみの美しさであり、たとえばその様式美・映像美がそのまま、物語や世界観と有機的に結びついて作品に重みを与えるというようなこともなく、荒唐無稽に見えて、作り手と受け手の共有する想像力を超えることのない「現実的」なお話を、いかにもそれっぽい「雰囲気」で飾っただけの代物にしか私には見えなかった。しかしそれにしても、何とも美しい表層ではある。それだけに残念だ。
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[020918] 飯田橋ギンレイホール(『パニック・ルーム』と2本立て)
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