[コメント] ロミオ&ジュリエット(1996/米)
B・ラーマンは「過剰さ」が命! だから、台詞がシェイクスピアそのままなのも故あること。
映像が、音楽が、セットが、衣装が、そして演技が、全てにおいて「過剰」を目指すB・ラーマン。腹八分目を知らず常に満腹を求めてしまうのは、彼の血であり命だ。だからこそ、彼はシェイクスピアの台詞をそのまま使ったのだ。
そもそも16世紀の戯曲である「ロミオとジュリエット」は、書くことが普及して「文学・小説」というものが「発達」した現代から見れば、その筆致は大仰でクドくて非常に装飾的だ(それが16世紀当時では普通の感覚だったのだから。もちろん舞台劇用の戯曲であることもその理由)。もし、映画の舞台が同じ16世紀に設定されていたなら、あまり違和感も感じなかったかもしれない(日本の時代劇がそうであるように!)。でも、舞台を現代に移し台詞をそのままトレースしてくることで、まさにシェイクスピア戯曲の「過剰さ」が浮き彫りになる。まさにB・ラーマンの狙い通り。シェイクスピアという題材を選んだのは彼の血がそうさせたのであり、彼はまったくの大まじめなのだ。
あとは観客が、B・ラーマンの血が生み出す「過剰さ」につき合うかどうか。これはもう趣味の領域だ。
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