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[コメント] KT(2002/日=韓国)

生きるということは〈理屈〉ではないはず。画面に登場する人物たちに〈リアル〉な台詞がなければ、映画は死んだも同然なのではないか? 
Linus

見ている間、ずっと居心地の悪さを感じていた。高野悦子の「二十歳の 原点」を読んでいる時のような、いや~な感じ。 全共闘世代(脚本家の荒井晴彦氏がそうです)というのは、 なんでこうも頭でっかちなのだろう? 生きることを、理屈で説明しちゃう のである。その最悪の部分が、この映画に投影されたことは、 言うまでもない。

物語を前に進めるために、台詞で全部説明しているのである。 (俗に言う説明台詞。私には、資料を消化しきれていないと思えた) 生きることは理屈ではないし、もちろん映画も理屈ではないのである。 その時に生きていた人間のリアル(生)を、想像力で描くのが 文学であり映画なのではないか? 見ている人間は、別に映画で、知識を得ようなんて思っていない。 史実を知りたければ、本を読んで、ドキュメンタリーを見ればすむこと なのである。

この映画で『226』の青年将校と比較するシーンがあるが、 226という映画も、ただ史実を追っただけの作品だった。 同じ轍を踏んだことは、悔やまれて仕方ない。

私は、阪本監督という人は、生活する人間を描きたい人だと解釈している。 『どついたるねん』、『』。どちらも素晴らしい映画でした。 映画はフィクションであるが、そこにリアルが存在すれば、 物語の人間たちは、私の中で〈生きる〉のである。 しかし、この映画にはそれがありませんでした。

いつも傑作を作ること自体難しいことなので、阪本監督の次回を 期待します。

(評価:★2)

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