[コメント] 突入せよ! 「あさま山荘」事件(2002/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
まず、これだけの剣呑な題材が、ちゃんと「映画」に仕上がっていることに驚いた。史実そのものの展開にしても、映画作品としてのアプローチにしても、何から何まで日本的な演歌調の世界なのだけれど、この作品が持っている乾いたユーモアだけは、ちょっとエキセントリックな魅力になっていると思う。
ところが、制作側はそういう切り口を持ち出して、ちゃんと「映画」を作ろうとしていたのに、とかく「警察プロパガンダ」と言われてしまうことが多い。
一つは、同じ題材を全く違うアプローチで映像化した「プロジェクトX」の存在が影響しているんだろう。
あの事件に関係した民間人を中心に据えた内容は、視聴者に好意的に受け取られ、そして警察関係者を憤慨させた。史実を正確になぞっているかのようなパッケージの番組が、最大の当事者だった警察官たちにほとんど触れなかったのだから、ごく真っ当なリアクションだと思う。
最前線で死傷者を出した警察官側にしてみれば、凍ってしまって食べられなかった炊き出しを作った地元の女性たちや、1台のポンプ車で1人の消防士が水を汲み上げたかのようなありえないエピソードの方がフォーカスされた内容は、到底受け入れられなかっただろう。
映画の撮影そのものは、NHKの放送と前後して終わっていたようだけれど、編集作業はその後。もし、警察プロパガンダとしてのバイアスがかかっていたとして、あの番組が影響していたら……と考えたら、作り手にとっても、観客にとっても、残念なことだったと思う。
しかし、NHKがどんな番組を作るかということと、映画そのものはまた別な話。
もし、原作者がこんなに有名な人じゃなくて、顔も知られていないような一警察OBだったら、そうそうプロパガンダとは言われなかったと思う。
ところが、ご本人の歳になってもハゲそうもないカッコいい役所広司が、とにかく大活躍! 局付きさん(佐々)だけがスーパーマンで、中央の官僚主義も、長野の田舎警察も、とにかく愚鈍に描かれているとなると、ヨイショしすぎなんじゃないか? と思われてもしかたなかったと思う。
もちろん、この映画はフィクションなんだし、“スーパー佐々ハイサッサ”も演出手法の内、ということなのかもしれない。でも、だからこそもっと配慮してほしかった。
スーパー佐々でもいいから主人公ばかりがフォーカスされないように、例えば第三者視点で物語を進められなかったか、とか、アナクロ妻とのエピソードはバッサリやるべきじゃなかったか、とか色々考えてしまうのはそのへんだ。
結局のところ、現代の名優たちの共演で、深刻な事件をユーモアも交えて描いてみせた手法をスポイルしてしまったのは、製作者側に何かが欠落していたからでは? という気はする。プロパガンダと受け取った観客が斜に構えてしまったのを、最後まで向き直らせることができなかったのは、語り口にどこか力不足があったからだと思う。
だからといって、その欠落を「赤軍を描いていないから」とは決して思わない。そういう作品は、反社会的叙事詩や、異教の教典にはなりえたとしても、エンターテイメントとして楽しめるようなものには決してならないからだ。
暴力革命がシンパシーを持たれたような時代というのは、それを知らない世代、時代から振り返ると、全くピンとこない。
そして、その理想を今も変わらず掲げ続けている人たちや、それに対するシンパシーを持続させている人たちのことを考えると、ピンとこないまま、理解できないままでいられる方が、よっぽど平和なんだと、ひしひしと思う。
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