[コメント] マジェスティック(2001/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
<<公聴会について>>
ハリウッド史上、有名な赤狩り。
フラッシュの飛び交う中、公聴会でピートは闘う。 ちょうど弾丸の飛び交う戦場で、ルークが闘ったように・・・。
彼らは、国のために、正義のために闘ったのだ!
ルークの「愛国」、アデルの「正義」、そしてローソンタウンの「希望」のピートがまさに一つになるこのシーンに、私は震えがとまらなかった。
戦後の日本、愛国を主張すれば右翼。正義と言えば偽善・・・。
素直に愛国を主張しよう!素直に正しいことをしよう!
と、こんな思いをハリウッド映画に晴らしてもらうのは、何とも寂しい。
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<<ラストについて>>
劇中映画「SANDPIRATES of The SAHARA」の結末を尋ねる親父さんに、ピートはハッピーエンドといい、親父さんを安心して逝かせた。
ここに、本作のラストへの仕掛けがある気がする。何故なら、自分がルークでないことを言わなかったように、このエンディングについても彼が嘘をついたかもしれないからだ。
ピートとアデルが結婚し、ローソン・タウンの人たちが新たな夢と希望に暮らし始める本作のラスト。ここで、もし行方不明のままのルークがぶらりと戻ってきたら?
2つのラストは、単なるハッピーエンドとしてではなく、「希望はそれを抱くものの内に存在する」という本作のもう一つのテーマを表現していたのではないか?と思った。
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<<愛国について>>
蛇足ながら、大したことではないですが、日本では何かと敬遠されがちな「愛国」について自分の考えを記すとともに、本作についても少し触れます。ちょっと長くなってしまいました。興味のある方だけお読みください。
以下、特定の団体・個人を支持したり、非難することを意図したものではないことをご承知おきください。
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結論から言って、愛国=右翼と私は考えていない。愛国は普通に国民がもつべき感情だと思う。
とは言え、世界の過去の国際戦争・事変、事件の多くが愛国という大義名分のもとに起こっていることは自明であり、日本でも、5・15事件、2・26事件、そして太平洋戦争へと、右翼が大きく絡んだのは確かな史実である。教科書墨塗り前の小学校では、楠正成が少勢ながら天皇側につき討ち死にした史実を利用して、彼を偉大な英雄として教育(洗脳)したと聞く。別に楠正成に愛国思想があったとは思えないし、この意味では天皇も利用されていたと言える。要するに当時は、お国ためという名分で「愛国」という言葉を始め、何でも利用していた時代なんだろう。
この戦争反省のもと、日本ではおおっぴらに愛国を主張することがタブー視され、外交・政治・経済等あらゆる分野で、問題先送りのことなかれ主義がまかり通るようになった(←これはこれで時には、美徳であることを認めます)。最近では、政治システム、企業体質が問題視されているが、ことの発端は、「敗戦」→「愛国の放棄」→「ことなかれ主義」に始まっていると思う。国を守るという基本方針をしっかりしないであれこれ議論しても、日本が無くなってしまったら、しょうがないでしょうに・・・(このあたり最近、話題によくあがる自衛隊論も絡んでくる)。
結果、一部の例外を除いて、今の日本には、韓国・中国・米国に因縁つけられては怯む政府と、命を懸けて国民を守る軍隊なのに憲法上軍隊と認められない自衛隊(事なかれ主義のために相手に撃たれないと反撃できないほど危険に身をさらしているにも関わらず、国民からさほど感謝もされてない)と、日本の歴史・文化に興味がなくなってしまった国民しかいない。海外で日本の文化を外人に誇れる日本人が果たしてどれだけいるだろうか? 自分の領土上空をテポドンが飛んだとき、怒りを露わにした日本人がどれだけいるだろうか? ワールドカップのときだけ、狂ったように「ニッポン」を連呼すればそれでいいのだろうか?
「愛国」 確かに黒い街宣車でわめき散らす右翼団体の姿は、おっかないし、同類と思われたくない。(彼らも普通に主張すればいいのにとも思うのだが・・・。)多くの場合、右翼=愛国かもしれないが、愛国=右翼と定着してしまっているのは残念。国を愛し、故郷を愛し、家族を愛する。国のために意見を述べ、国のために生産性のある存在となることは、国民の義務ではないでしょうか?(と私は思う)
各いう私は、楠正成の銅像(皇居)を、加藤清正(熊本城)、伊達政宗(仙台青葉城)と並んで好み、30過ぎても日本史と外国語学習を好み、邦画より海外の映画を好む。国のため自分のためにと日々働き、消費し、トレーニングする、いたって平凡な壱サラリーマンです。
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本作はアメリカの50年代を描いた映画で、ナチと闘ったルークの「愛国」の描写(といっても報告書と手紙がメインだが)は、純粋に国民としてあるべき姿だと思った。ピートは、記憶を失いローソンタウンの人々と接することで、はじめて「信念」を持ったわけで、自分の作品が赤狩りの対象になろうなどとは考えてもいなかったことと思う。アデルの憲法「正義」をもとに公聴会で正しいことを発言するピートの姿もまた、ルークと同じく、国民のあるべき姿だと思う。
本作が事実に基づかないフィクションなのは承知。それに、アメリカが政治的に本作を利用しているとも思えなかった。
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<<最後に>>
本作が、「赤狩り」という過去の映画に対する政治政策と「愛国」を扱っている以上、本サイトでいろいろな意見が生まれるのは必然の流れだと思います。それぞれの意見を自分は尊重したいと思います。
'02.07.20
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