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[コメント] 踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!(2003/日)

凛々しくなった雪乃さんに・:*:・( ´ ▽ ` *)。・:*:・ポワァァァァン・・・ 「踊る大捜査線」というムラ社会に関する、ええかげんな民俗学風考察→
立秋

現代のハリウッド映画の多くは、「映画」と言うより単なる「遊園地のアトラクション」に過ぎない(脚注)。そしてこの「踊る〜MOVIE2(以下OD2)」は「映画」ではなく「祭り」だ。それもねぶたやら祇園やらといった壮大なものではなく、「踊る村」というムラの「村祭り」である。

「村祭り」の特徴とはなにか。それはムラに帰属する人間以外にとっては面白くもなんともない、ということにつきる。しかし、よそ者が「この村の祭りは御輿もせこいし詰まらん」と言ったところで意味がない。なぜなら村祭りはムラビトだけのための「祭り=マツリ」であるからだ。

それでは何故村人達のための祭りが行われるのか。村人達は普段日常生活を生きている。それがいわゆる「ケ=日常」の生活だ。ところがこの「ケ」の生活を長く続けていると体の中の「ケ=気」が不足してくる。それが「気枯れ=ケガレ=穢れ」の状態である。そこで「ケ=気」を補充するために「ハレ=非日常」の場が設けられる。それが「マツリ」なのである。

OD2は「踊る村」の村人=踊るファンにとって、5年もの長きに渡って「踊る」の無い日常生活=ケを過ごしてきた末の待ちに待ったマツリだ。そして役者にとってもそれは同様だろう。更に言えば、劇中で日頃スリやら痴漢やらといった日常の事件=ケを過ごしている湾岸署の人々にとっては、警視庁捜査一課が出張ってくるような殺人事件は、それ自体がまさにマツリである。

そのようなマツリであるからして、ひたすらTVシリーズやOD1とのつながりのみを描き続ける内輪ウケのディテイルや、登場人物を勢揃いさせるだけでいっぱいいっぱいの導入〜展開部、なんてのは欠点とはならないし、ステレオタイプな人物描写や、伏線のようなものを拡げつつも実際には全く活用されないプロットや、御都合主義で行き当たりばったりの脚本なんてものは、ハッキリ言ってどうでもいいのである。OD2というハレの場でムラビトたちのケが充填されさえすればこのマツリの使命は果たされたことになるからだ。寧ろその使命のためには、前述のような映画としては欠点とも思える部分こそが重要と言える。何故ならムラビトはそれこそを求めてマツリにやってくるのだから。

そしてこのようにムラビト=踊るファンだけのために作られた「閉じた映画」は当然のことながらその共同体の内部に向けてしか作用しない。広く人々の心に働きかけることは出来ないのである。その意味においてOD2は「映画的な映画」とは言いがたいものがある。

ちなみに、水野美紀=雪乃という一点でこのムラに帰属している自分にとっては、少々の「よそ者気分」を味わうことになる村祭りとなってしまった。

それにしても、警察という巨大なムラ社会の問題を正面から描こうという気概をもっていた(かのように思われた)このシリーズが、結果的に日本のムラ社会の構造そのものと成り下がっている現実には、痛烈な皮肉を感じずにはいられない。

※ちなみに私は民俗学専攻ではありません。文中の民俗学用語「ケ、ケガレ、ハレ、マツリ」の説明は10年以上前に聞きかじった講義内容に基づくものであり、大きく間違ってはいないとは思いますが不正確である可能性もあります。悪しからずご了承下さい。

(注) 遊園地のアトラクションひとつに1800円も払う馬鹿は居ない。せいぜい数百円がいいところである。したがって、ハリウッド映画の多くをレンタルビデオorDVDで観るという行為は実に理に適っていると言える。

(評価:★3)

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