[コメント] ボウリング・フォー・コロンバイン(2002/カナダ=米)
シネスケ的にいえば、ムーア監督は2ch等で陰口を叩かれながらも「オレはそんなの気にも留めてないぜ」って強がって見せている人気有名コメテであろうな(ぐわ、辛口だ)。ライバル意識がすげー低いという(笑)。更に言わせてもらえば、このオレの発言に対して「オレの事か!」などと自惚れるぐらいの人だ。そう、君だ。君です。すごいぞ。コメテが何千人といる中「自分の事だ」と思えるその自惚れ。青いなー。せいぜい「オレの事かもね、ふふふ」ぐらいの余裕をもちましょうよ。そんなキミはこの映画をあと20年たってからもう1回みてみるように。かなり話の印象が違ってくるハズですヨ(それはオレもだ(笑))。
あー、ま、そんなこたどうでもいいとして、モノゴトの結論を現時点における「確信」で判断するのは誰しもよくやる間違いの一つです(もちろん正解の時もあります)。「モノゴトの判断」は自分の成長と共に揺れ動くものです。自分の見てきた映画の評価ひとつとっても、過去に見た時の点数と今の点数は変化しているように、自分の判断に「絶対」はないのです。必ず「現時点の判断では」という注釈が必要となるわけですね。
そうゆう意味では、このムーア監督の「この映画における問題提起」は中立を装っていながらも「自分の判断は間違っているんでしょうか?みなさん、どうですか?」と朝まで生テレビの田原総一郎のようなスタンスで言ってるわけですね。簡単に言ってしまえば、モノゴトの結論には○か×かしか無いなんて思ってるんじゃないかぐらいの明確な切り口なわけです。底が浅い論点に見えてしまうのはそこら辺が原因でしょうか。もっともっと意見が揺れ動いた結果としての疑問提示をしてくれれば、もうちょっと耳を傾けてやってもいいんですが(エラソーだが本気でそう思う)。
というか、そもそも監督は「議論を呼ぶ」為のきっかけが欲しかっただけで、正直、この「銃」に対する問題やアメリカという国に対する疑問なんて点はどうでもいいんじゃないっすかね?まあ、一応「本気で言ってる」と思わなきゃ話が進まないんで、そう思っときますが、どうも、こじつけな意見に見えるわけですよ。ほら、よくあるじゃない。シネスケなんかでも、みーんなが高得点の中で「キミラはまったく判ってない」とえらぶって「1点にします。さあ論戦なら応じますよ。逃げも隠れもしません。さあ、カカッテキナ(@ルーシー・リュー)」みたいな。ディベートやりたいんなら他でやれってね。
おや、このオレのコメントがソレですか。参ったなー。オレは逃げますよ。論戦なんてしません。てわけで2点にしよ(逃)。
アメリカという国が妙に破綻しかけていて可笑しいのは自国民(中流階級以上)だってよく判ってる。何を今さらだ。その何を今さらなポイントをわざわざ大仰に真剣に問題視してドキュメントしたから笑えるのであって、これは「はてなダイアリー」にキーワードとして「ボイン」を登録されるのはどうなのかって議論と同義だ。つまり最初からこの映画の目的は川口浩の大冒険とさして大きく違わない。いかにマジにどうしようもなくくだらないテーマを真剣に議論し行動するか、に尽きる。
アメリカという異常な国を他国民は笑いものにしているが、日本だって充分に異常な国です(特にフクオカ(笑))。銃がないのにこんなに異常犯罪が増えちゃって、おじさん怖くて住めないよ(住むけどさ)。でも、大半の人はどんなでも自国を愛してるでしょ。大きな変革なんて望んでないし。「うちらの政府はダメだなぁ」なんて知ったかぶりしてるほうが一般人は幸せなんです。「アメリカって国はダメだよね。ま、愛してるけど」とアメリカ人が言うからアメリカ人に面白がられるんであって、この映画に対して外人(アメリカ人以外の人)が「アメリカってのはよー」と言うのとかなーり意味が違ってきます。日本で評価されるのは勘違いの評価だと思わざるを得ません。アメリカを笑い飛ばすほどアメリカを知っているのかって事ですよ。マイケル・ムーアは我々(アメリカ以外)に対してなど微塵も同意を求めていないでしょう。はじめっから内輪受けなネタだったというわけですね。いかん、最後は兄弟してネタがかなり被ってきた。
えー、たぶん。マイケル・ムーアの次の標的はユダヤ系アメリカ人あたりが標的かな?おもしろおかしくイスラエルをかばう政府を揶揄するわけだな。イスラエル突撃取材ですよ。反対側の意見も聞くって言って捕まって人質交換でもされるかもな。まあ、期待しましょう。今度は笑かしてください。
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