[コメント] ソナチネ(1993/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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今作は全く逆。死が満ち溢れる日常から脱却し、ひとときの生を経てまた死に戻っていく。それによりその死の冷たさが一層浮き彫りになり、翻って更に生というものが描き出されてくる。
それが上手くいっているのは恐らく、彼ら登場人物に一切の激情がないからだと思う。唯一声を荒げる大杉漣ですらあくまで仕事の一環、形式として怒鳴っているに過ぎない。そんな淡々と生きる連中が、敵も味方もうめき声ひとつ上げず、命乞いもせずに死んでいく。その死は全くドラマチックではなく、ただ「ゴトリ」と倒れていくだけだ。そこにある生と死の差異は非常に小さく、むしろそこでの観客の感情の動きを拒否するかのように“処理”されていく。
だからこそ途中のささやかな生が効いてくる。彼らがあそこで見せる人間としての顔に、同じように「ゴトリ」と死んでいく敵たちとの小さくても決定的な差異が生まれる。生きることと死ぬことは瞬間の境目に過ぎず、しかしながらそこに内包された「人生」は絶大である。そしてそれを全て見せ切った後に、あのラストが待ち受けている。村川があと少し車を走らせていれば、そこには生の象徴である女が待っている。境目はまたもごく僅かなものなのに、彼はそれを越えずに自ら死への道を選んでいってしまう。生死の狭間に見えてくるそれまで送ってきた人生、これから送るはずだった人生。その表現は非常に現実離れをしているにも関わらず、観客の脳裏には膨大な現実の人生が喚起されていくことになる。大したもんだ。
また監督だけでなく、その「生」と「死」の境を一人で見せてくれた寺島進もハマり役だったように思う。
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