[コメント] ソナチネ(1993/日)
「おれ、ヤクザやんなっちゃったなあ。」そこから始まる死の楽園。
北野武がメディアとしてヤクザを利用しているだけだというのは自明だが、それにしても任侠ものとは対照的だ。明らかにアウトサイダーなのに、周りとの毛色の違いをもって暴れだす“ぶんた”や“けんさん”とは絶対的に違う。まして『用心棒』には決してならない。考えてみれば、彼らは周囲との差異のために、一歩間違えばヒーローに異化されてしまうぎりぎりのラインにいたわけだが、メディアとしてヤクザを利用しているだけの武からは、逆説的にその匂いが消えることはない。あくまで“本職”の匂いを残したまま、彼はアウトサイダーたりえている。色にたとえるなら、黒が白に変わることにより浮くのではなく、黒がさらに深く黒くなることにより浮いているといったところだろうか。だとすれば、その消えない匂いが何なのかという話になるのだが、これも任侠ものの主人公達と比べれば一目瞭然だろう。彼らは周りに死を撒き散らす一方で、自身はどんどん生に漲っていく。たとえ最後に死ぬとしても、その瞬間までは生の匂いを撒き散らす・・・武はその反対なのだ。
「おれ、ヤクザやんなちゃったなあ。」
“仕事”の喪失は動機の喪失であり、動機の喪失は遊戯と楽園を指向する。武の映画を言葉で定義することを自分は好まないが、それでもこの深まりだす黒を実感してみるとき、“武の遊戯は死を目指す”というごくごく一般的な意見に後景化せざるをえない。
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