[コメント] アカルイミライ(2002/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
別にそんなに期待していたわけでもなく、また、黒沢清という監督の過去作が好きだとかそんな訳でもない。この監督の作品はまだ一作も見た事がない。ただ、個人的にこの監督には興味があったので見に行った、という感じだった。
予告くらいは見たことあったが、始まってみると予告との大幅なギャップに戸惑った。ホームビデオのような映像と、妙に不自然なカメラワークと見づらい映像。どこか自主映画のような雰囲気で始まったこの映画。シーンの繋ぎがイマイチ把握し難く、台詞のよくわからなさに少し苦笑ムードではあったが、なんだろう、この見終わって残る中途半端でもあり、満足でもある感覚は。
この映画で見た事が「アカルイミライ」って奴なのか、それとも「クライゲンジツ」なのか、良く分からない。クラゲの如くふわふわしている主人公。謎めいた男。実の息子を理解する事もできず、ただ「なんとかするから」を連呼する情けない父親。
守(浅野忠信)が社長夫婦を殺したのは、雄二(オダギリジョー)へ対する「待て」だとか言う感情でもなく、あの社長の態度にむかついたのではないのだろうか?一度夕食に招待された時、彼は「もうじき嵐が来るかもな」と、言う。それは、あの家族の現実を見て、あの情けない父親と崩壊した家族関係に怒りを覚えた、もしくはよく居るおっさんのように自分の昔を取り出し、今の若いのを理解しているつもりでいる野郎に怒りか何かしらの感情を覚えたのではないか?別に雄二を助けるためでもなく、ただ自分でやろうと思いやった結果、雄二を助けた形となっただけではないだろうか。
登場人物も観客も守が何をしたかっただとか、何を考えていただとかは理解出来る筈もなく、ただ「よくわかんねぇ」と見てしまう。雄二は守の行動を「僕の為に先に殺したのかもしれない」と理解するが、それは誰にも分からない。友人であろうと、父親であろうと理解する事のできなかった「守」という人物。また、不思議な絆で結ばれているように思える守の父親も、やはり雄二を理解できずに居る。年上にとって自分より若い人間は「分かっている」つもりではあるが、実際は全く理解しきれていない。自らの価値観を押し付けて怒ってしまう。
そして、守が最期に残した「行け」のサインの事について、ついに雄二は守の言いたかった事に気付いた「気がする」。観客もそして登場人物も、誰も完璧に理解する事ができない。そんな曖昧な中で答えを模索する。ふわふわして掴めない現実とその先にある未来。
夢だとか現実だとか未来だとか、自分にはよくわからない。目も開けられないほどの強い風に立ち向かう主人公。目的もなくぶらぶらと漂う僕ら。勢いだけで壊し、そして捕まり説得される。他人には理解できないことを「なんとなく」やり、必死にあがく主人公(=若者)。おっさん連中が彼らを完璧に理解なんてできるわけもない。僕らはあがいて、強い風の中であがいて遠くを見て「アカルイミライ」を見つける?
結局自分には、守が最期に出した「行け」のサインの意味がわからなかった。けど、見終わって何かしら感じることが出来た。よくわからないけど。理解できないけど、何かを。
今回、見終わって「見てよかった」と思ったが、反面「わけわかんねぇよ」という不満足感も感じた。いつも映画を完璧に理解しきれていないなか、頭の悪いレビューばかり書いてしまうが今回ばかりは本当にわからなかった。けど、見てよかった。見れてよかった。
―――――――再鑑賞後
二度目の劇場鑑賞。うーん、やっぱり見終わって、少し消化不良が残った気もする。しかし、やはり良いものは、何度見ても良い。
オダギリジョーの心の変化、中年親父なんて過去の話ばかりして嫌いだ、みたいな感じで振舞っていた彼と、息子も含めて若い世代がよくわからない親父が、ラストでようやく心が通じ合った姿はやはり爽やかな感動だった。
要するに、世代を超えた「理解」等を描いていたわけだと思う。
映像も、改めて見てみると、絶妙なコントラストで、綺麗だった。カメラワークは、決して「おっ!?」と言うような、目立つものはあまりないのだが、映像が綺麗。コントラストが本当に綺麗だった。
やはり、二度見てよかった。なんとなくつかめた気がする、この映画を。
★4→★5に変更。
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