[コメント] デブラ・ウィンガーを探して(2002/米)
ドキュメンタリーで高評価を得るためのいくつかの方法
ドキュメンタリーの意義とは、私はこう思う。
★我々の知らない世界を映してくれる。
★いつもの見慣れた風景を丹念に映し、見逃していた何かを気づかせてくれる。
★物事の真実を語らずともさりげなく映し出す。
この作品は一人の女優の目を通したスターたちの本音なのだそうだ。しかし、彼女たちの話すことというのは我々凡人には至極当たり前のことであり、この時点でやはり映す側もそのスター女優の高みにおける視点からしかそれらを採取できなかったことになる。「彼女たちも一人の人間なのよ」という論点が生きるのはハリウッドという特別な場でしか有効ではない。実際、我々の周囲には彼女たちよりももっと気の利いた発言を聞かせてくれる女性は多い。
正直、中盤あくびが止まらなかった。そこそこの人生を生きている観客を前にして何を今更の発言ばかりを聞かされたってそれがいったい何の糧になるのだろう。そもそも「なぜデブラは引退したのか」という命題をほかの女優の発言を通し婉曲に伝えてくる手法は良いとしても、あまりにデブラが能弁なために「彼女のインタビューだけでいいのでは?」という疑問が終始ついてまわった。
唯一、カトリン・カートリッジの急逝前のおそらく最後の姿を残してくれたことは感謝したい。
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