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[コメント] I am Sam アイ・アム・サム(2001/米)

鏡に向かって自分でやってみれば分かるが、口を開けて歯を見せずに笑うと間抜けに見える。でもあのうろんな目つきは真似できない。ショーン・ペン恐るべし。
G31

背景のビルの壁画(?)は次々と後退していくのに、画面の真ん中で必死に走っているサムはもたもたとしてちっとも前に進まない。勤め先のスターバックスから子供の生まれる病院へ急ぐシーンは、世の中のスピードから取り残されそうな彼の境遇を一目で表現していて秀逸だった。たぶん、ゴチャゴチャとした壁画を選び、それも壁際からなるべく離れて走っていたのだと思う。2度目ともなるとこんな所が目につくので、1回観て感動した人はもう1度観る必要はないかもしれない。それはともかく。

***

法律上の実際がどうなっているかは知らないが、愛情云々以前に、サム(ショーン・ペン)に生活能力、とりわけ収入を得る能力がなければ、そもそも親権をどうのこうのするという話にならないだろう。その意味で、(彼らがどうやって生活費を得ているのかは不明ながら)障害者仲間にも囲まれ、社会から孤立しているわけではないサムは、障害者としては恵まれた立場にいるように見える。それは、(アメリカ)社会が社会としてきちんと機能していることをも意味している(実態がどうかは別として)。つまりこの作品は、社会を批判したり、誰かを告発する為に作られた映画ではない。

ルーシー(ダコタ・ファニング)にしても、その容貌は言わずもがな、愛情に恵まれ、筋のいい里親も見つかり、施設を出られたのだから、(実の母親がいなくて父が知的障害者であることを除けば、という意味でだが)ずいぶん幸せな境遇にいると思う。つまりこれは、不幸を取り上げる為の映画でもない。

これは、好むと好まざるとに関わらず、社会から割り振られた役柄を演じなければいけない、現代に生きるわれわれ自身に向けられた映画である。われわれは「7歳児の知能しかない男に父親の資格がないというなら、85歳の知恵があれば父親として十分だと言えるのか?」と問うてみればいい。その答えは「親として充分な能力を備えてない人間は子供を持つべきでない、なんて事を言い出したら、誰も親になることなんかできやしない」というものだ。社会の中で父としてふるまうことで、人は父親になる。だから大切なのは、自分が父親であるという明確な認識と、娘を想う熱い気持ちを持っていることだ。

現代社会は「一人でなんでもできること」に重きをおくから、ともすると置き去りにされる価値観がある。だがこの世に完璧な人間などいない。そのかわり、誰しも独りで生きているわけではない。健常者がいて、その中に障害者もいるという、世の中の当たり前の姿を描いた(描こうとした、かな)作品であると思う。人間と社会の可能性に全幅の信頼を置く、スタッフたちのそんな映画作りへの姿勢に一番感動したかも。

80/100(02/11/31再見)

(評価:★4)

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