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[コメント] ひみつの花園(1997/日)

確かに「映画」を感じさせてくれた。・・・ホェ!
ちわわ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







作品について言葉を残そうとすると、えてして、「観念」が作品を超えてしまって、作品を観念に従属させてしまう結果となる。こういった作品を見てコメントを残すのが無意味に思うのもよく解る。ならば観念でがんじがらめにならない、作品の魅力はどこにあるのだろう?

「お金」というと、ほとんどのひとは未来・将来といってことを念頭においてしまう。「未来」なんて本当は、全く無いもの。未来云々いうのは人間だけです。動物には過去、現在と同様に、未来もありません。だけど人間の場合そうは単純にはいかないので、お金は未来を意味する。お金を巡る犯罪が絶えないのも、人間にとってお金が未来の象徴だからです。

でもこの作品の主人公にとっては、お金はもはや未来・将来とはかかわっていません。たんなる記憶のなかの点。そう、連続写真からうかびあがってきた黄色いバックが端的にしめしている、記憶のなかの光り輝く点(=秘密の花園)にほかならないのです。

助手の江戸川氏と一緒に、僕らは鈴木咲子=西田尚美の肉体が躍動するさまをまざまざとみる。もちろんそれは「現在」の彼女なのですが、厳密には「現在」ではない。現在以前なのです。未来はもちろんない。過去はありますが、過去の全体性とはむかんけいなただ潜在的な秘密の点とのみ、潜在的な関連をもつ、現在以前の場。

カメラが本来とらえるのは、こういった場にほかありません。ぼくがこの作品に「映画」を感じるのは、こういった場を、西田尚美という得難い女優の肉体をとおおして、捉えようとする強い意志を感じるからです。

 最後、彼女がお金のはいったバックを棄てるシーン。光り輝く点は、彼女の内部ではなくて、まさに外部だということ。これほどうまくさりげなく示した例はすくないとおもいます。秘密の花園は、まさにぼくらの外部にあるのです。

(評価:★5)

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