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[コメント] しゃべれども しゃべれども(2007/日)

「しゃべれどもしゃべれども…」とくれば、「…でも、伝わらない」というもどかしさのことを言いたいのだろう、と察するわけだが、ディスコミュニケーションというせっかくのおいしい素材に監督があまり関心を持っていないような気がして残念。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







冒頭、日本語教室の講演の途中で退席した香里奈が、「あの人本気で話してないじゃない。口動かしているだけじゃない」と言い放った時は、この若い娘は、それなりに巧みに聴衆の耳目をひきつけ初めたかのように見えた伊東四朗の講演をちょっと聞いただけで、「そんなんじゃ私の抱えている問題はとうてい解決しない」と言っているわけで、これは「ディスコミュニケーション」というテーマを語ろうとするだろう作品において、何事が始まるのかと、かなりワクワクした気分になった。

しかも太一に「そんなら師匠の生の落語を聴きにこい」と言われれば、「なんで俺の落語を聴きにこいって言わないの」である。謎のヒロインが「ことば」というテーマと、物語の主人公とこの二つに対してこんだけ挑発してくれればつかみは充分である。そして太一の高座の真正面にむっつりした彼女が座ったのを見て、まさか来るとは思ってなく完全にあがってしまった太一に「あがってていい気味だった」である。が、と、口ではそう言っている彼女の立ち位置が、なんか太一に「まんざら悪く無い感情」を持っているスタンスなのである。え、もう2人の衝突は終わりなの?とがっかりするのである。

で、彼女は特に落語に興味があるわけではないのに、太一のところに話し方を勉強にいくのだが、それは公的な教室然としたものではなく、いきなり先生の自宅で先生の親も住んでいるという私的な匂いの強い環境に身を置かなければならない場所なのだ。彼女はそういう他人のいるところに入っていける、という点で、コミュニケーションの何に悩みをもっているの?と思ってしまうのだ。で、確かに挨拶はきちんとしないし、いっしょに勉強をするはめになった仲間に失礼なこともいうが、それで失言してしまって後悔しているふうな場面はでてこないし、太一の家族や仲間もそんな彼女を受け入れてしまう。ああいう態度だけど彼女に悪気はない、とみんなが理解しているわけで、だったら別に口下手でもいいんじゃん、しゃべらなくても伝わってるじゃん、という印象になってしまったのだ。この教室に集まった他の面々も、こんな調子で面と向かって言いたいこと言って、それで自分がそう言うことをつい言ってしまうことにあまり痛痒を感じず、かつ、うまくやっているんだから、よっぽど「物言わぬところでのコミュニケーション」のとり方が上手なんではないか、と思ってしまうのだ。

いじめられっこは、最初からいじめっこに対して臆してなどないように見える、つまりいじめっこが自分をいじめてくるという関係性を理解して受け入れてしまったうえで、落語で笑わそうとしているだけだから、落語の成否がその後の彼らのコミュニケーションには影響しないように思える。少なくとも彼の側からいじめっこに対して「回復」するものなど最初からない。彼は最初からいじめっこの上に立っている。回復されたのは、いじめっこのほうが彼に対して素直になれなかったという方だけだ。野球解説者は結局噺はせず、こどもに野球を教えることでコミットする。太一が師匠に「お前はただ壁に向かって噺しているだけだ」と核心的なところをつかれるのに、彼の一皮向けた「火炎太鼓」は、その課題から何かを見つけて克服したというより、単に酒の勢いを借りたかのようになっている。

つまり、「ことば」という課題においてコミュニケートにわだかまりのある人々が、それらを手にすることをして「ドラマチック」とする構造になっているのに、彼らはことごとく「ことばの課題」とは無関係なところで、それらを手に入れるものだから、彼らが抱いていた動機が活きてこないのだ。しゃべれてもしゃべれなくても同じこと。そうすると登場人物たちの劇中の動機とともに作品を見てきた観客には、何だかはぐらかされたような気持ちになる。

では、逆にコミュニケーションの問題とは、「ことば」の問題などではなく、まずは相手への理解(思いやり)の問題なんだよ、それに気づかないうちは「しゃべれどもしゃべれども伝わらない」んだよ、と言っているのかというと、どうにもそこが弱々しい印象なのだ。脚本的にはそういうニュアンスなのかも知れないけど、演出がそこを強調してこないという感じなのだ。

浴衣姿を見て惚れてしまった彼女に、ほおずきをプレゼントして「しゃべらなくても察して欲しい」と思う太一が、彼女には「感謝(好意)を口に出して述べて欲しかった」とするくだりなんかは、男と女の恋愛感情を描きつつ、かつこの物語のテーマを一言で収束してしまえるような要素があるのに、なんだか平凡な恋愛ドラマの仲直りくらいな描写でスルーしていく。古典に執着し芸にこだわるから自分にも他人にも厳しいという意固地な太一の役作りや、香里奈の落語が、その不穏な雰囲気から最初は観客も変に緊張しているのが、だんだん自然体になっていって笑いが少しずつもれはじめるところなんかは、見ているこっちもまったく同じタイミングで「笑えるように」描かれているという無理のなさなど、良いところもあっただけに、肝心のテーマにもっとこだわってくれればなあ、と思った。

(評価:★3)

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