[コメント] A.I.(2001/米)
人間(オスメント君)が演じていても、役どころはロボットなわけで、なぜ私はロボットに感情移入してしまうのだろうか? ロボットが母を恋うてそれがただしいことなのか? これは私にとって案外奥の深い問題なのだ。ロボットを名子役が演じているからと言う浅い解釈は自分に成り立ちそうにない。(それもたしかにあるけれども) 「人形論」という私にとっては大事なテーマにぶちあたる。
小さい頃、ブリキ製だかプラスチック製だか忘れたが、ロボットのおもちゃを買ってもらって、電池を入れて動かして遊んでいた。本当に楽しかったが、そのうちに電池を入れても動かなくなった。壊れたのだと思う。修理をしてもらうこともなかったのだろう。いつのまにか、このロボットで遊ばなくなっていた。ある日ふと見るとロボットが傷だらけになり庭の隅に捨て置かれていた。この瞬間のことを忘れられない。私は、なぜか、ほっぽっておかれたままのこのロボットに対して猛烈に申し訳ない気持ちになり、ロボットを前に、ぽろぽろと涙を流して謝ったことを覚えている。そのときの庭のヤツデのたたずまいも、日暮れ時の夕陽の色も、なぜか不思議に鮮明なのだ。当時庭で飼っていた犬が私の顔に鼻を寄せて鳴いていたことも思い出す。
人はどうして物言わぬものに対して哀惜の念をもつのか。どうして物言わぬものが感情を持っているかのように感じるのか。
人間のように振る舞うロボットであればこそ、結局人間になりきれないロボットに対する哀れさがいやますのだろうか。それとも、何らかの思いをこめてつきあってきたものに対して、ものを超えた感情をもってしまうのが人間の自然な感情なのだろうか。いまだに混乱しております。
しかしながら、このロボット世界観、手塚治虫の「鉄腕アトム」に近いですよね。「アトム」がすごすぎたというべきか。
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