[コメント] 十九歳の地図(1979/日)
大好きな原作に余計なオリジナル要素を付加した監督には「×ひとつ。」三重×ではないのでイタ電をかけたりはしないが、ちょっと寂しくなったので妄想の犬ぐらいは吊させてくれ。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
未だに人に対して腹の立つことがあると「二重×だな。」などとつぶやいてしまう原作ファンの自分にとって、ムエタイ青年やナンパされる少女たち(と、それに付随するエピソード)は不要に思えて仕方がなかった。
なんだかとってつけたような(当時の)現代若者像のような気がしてイヤだった。
「ぼく」の世界にはハナからあんな奴らは関わってなかったはずだろう。関わったとしても会話を交わすような相手ではなく、石ころ帽をかぶったどうでもいい存在だったり、もしくは視界に入るだけで殴りつけたくなるような嘔吐したくなるような存在だったはずだろう。少なくとも私はそう思っていたし、今でもそう思っている。そうであるがゆえの「ぼく」の世界だと思っていたので、なぜ「付き合いで試合を見に行ったり」「はにかみつつナンパしたり」するのだろうとイライラした。
なんだか彼の、青年特有の孤独や焦燥感、陰湿さが、ひどくかすんでしまったような気さえした。そしてそれは、この短編にそれなりの思い入れを持つ自分にとって、とても寂しいことだった。
でも、紺野の細かい描写や(原作では紺野の話と電話の声のみで登場していた)リアルなマリアさま像はよかった。なぜなのかはわからないが、この人たちはすんなり受け入れることができた。たぶん、役者もホンモノだったのだろう。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (4 人) | [*] [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。