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[コメント] シリアル・ママ(1994/米)

初代引田天功を覚えていらっしゃるでしょうか。
ニュー人生ゲーム

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







現・引田天功と違い(オッサンだっただけでも大違いだが)、「脱出もの」という一芸だけで視聴者を魅了したすごい男だった。 手錠をかけ、身体を縄で縛り、箱に入り、カギをかけ、鎖を巻き付け…というくど過ぎる下準備をエンターテインメント化したという点でも後進に与えた影響は大きい(かどうかは良く知らない)。 で、結局はブラックボックスの中で、見事ギリギリで脱出できました!というのが毎回のオチなのだ。それだけで一本のスペシャル番組を見せてしまう。

さて、『シリアル・ママ』である。裁判に至るまでの流れには本当に驚いた。何しろ、展開が起承承承承承承…なのだ。

シリアル・ママの行動原理はただひとつ。「ルール違反には死を」である。下品な脅迫犯はママでした、という簡単な種明かしから話はスタートする。驚いたことにママの行動に妥協はなく、これ以前にもママがこんなキャラだったとしたら、とっくに裁かれ、抹殺されているはずだ。つまりママの行動はごく最近に突如豹変したのであるはずで、そこには何か決定的な原因があったはずだが、その辺のことは一切描かれない。 (駐車場の一件はあくまでも豹変後の話である)

作品世界の中で描かれない時間や場所における主人公のリアリティが全く無視されているという点で、ママは過剰に「登場人物的」だ。オープニングの「これは実話である」というクレジットが、確信犯的に我々をおちょくる。実話という話自体が本当なのかどうか、ということは大した問題ではない。この映画の核となるエッセンスが、実話に基づいているはずはないのだ。

そして、ママの連続殺人遍歴が描かれていく。 驚くほどズサンだ。脚本がとか演出がとかいう問題以前に、犯罪者としての主人公の行動が極端にズサンである。つまり、だれが見てもどう考えても分かるように、異常にズサンに作ってある。そこに全くどうでも良い時刻記録が、分きざみで正確に表示されてまたも我々をおちょくる。

話が進行するにつれ、僕は戦慄した。 これは、国語の授業で習った「すべての物語には起承転結がある」というきまりごとへの挑戦ではないのか? なにしろ何の前触れもなく投げ出されたママの行動原理が、展開せず延々と続いているだけなのだ!起承承承承承承…だ。

ところが、裁判に至って、そうではなかったことに気付く。 これまでの一連の犯罪は、すべて引田天功の「くど過ぎる下準備」だったのだ。誰もが異論をはさむ余地がないズサンな犯罪(とてもたためないだろう、とあきらめさせるほどの大風呂敷)をママはわけのわからない自己弁護で手際よく無罪に持ち込む。 そこにも法廷劇特有の「あっと驚く伏線とどんでん返し」などない。馬鹿馬鹿しくも強引だ。「はい無事でした」とあらぬ方向で両手を上げる引田天功と同じで、そこにロジックはない。

これは、「無駄に広げた大風呂敷を無理矢理ぐしゃぐしゃにたたむ」というだけの実にどうでもいい映画だった。 それがエンターテインメントになるということを引田天功は知っていた。そして、ジョン・ウォーターズも知っている。ウォーターズは、映画が作りたいのだ。そして、作れるのだ。

(評価:★4)

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