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[コメント] 十三人の刺客(2010/日)

友人にこの作品の面白さを説明しようと「いかにも三池監督らしい作品だ」と言ったら、「それじゃ文句言ってるようにしか聞こえない」と言われた。ごもっとも。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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 当たり外れの幅は大きいものの、どんな作品であってもこなせる“職人”三池崇史に本作を作らせたのは、ある意味では正解。時代劇ではなく、意欲的なチャンバラとして仕上げてくれた。

 三池崇史という監督の特徴として、この人はこれと言って思想性を持っておらず、、むしろ思想を否定しているからこそ、現代では珍しい“職人”と呼ばれるのだと思う。  それでその“思想の無さ”がはまる映画とはまらない映画がある訳だが、本作の場合、かなり微妙な意味合いでそれが噛み合っているように思える。

 …で、その微妙な意味とは、本作がかなりちぐはぐな作りをしているところにある。それは、脚本の目指すところと監督の目指すところが異なったところにあると考えられる。

 天願大介という脚本家は社会派的な側面を強く打ち出す傾向にある。本作も数多くのところでそういった社会派的側面が垣間見える。たとえばそれは権力に押しつぶされた庶民の姿であり、封建主義によって自らの主張を出すことの出来ない下級武士の姿であり、血縁で決められてしまう老中職に表だって異議を唱えることが出来ない政治の姿であり、またまつろわぬ民が力強く生きている姿であり。

 それらは画面の端々に確かに出ている。

 ところが、本作ではそういったものは殊更無視されていて、出すのは出しても、それを深めようとしない。たとえば四肢を切り落とされた女性が出てくると、それはホラー的、あるいはフリークス的な描かれ方をするし、切り捨てられた下級武士は、その人の存在意義や悲しみよりも、骨に食い込んだ刃を力を込めて押し込むことの方に力が入り、山人は人語を解する野獣のように描かれる。

 これは間違いなく三池監督がそれらを知った上で敢えて切り捨てた結果だ。そういった情的ものより、画面映えや、剣劇の方に思い切り力を入れ、権力構造はあくまで物語上の必然性で語られるだけで止めている。

 その結果として、脚本と演出の間に隔離が生じてしまってる。

 推測ではあるが、これは一年ほど前に公開された崔監督の『カムイ外伝』(2009)の興行的失敗が根底にあるような感じがする。あの作品もエンターテインメントを志向して作られてはいるが、それ以上に権力者と戦う庶民の姿に重点が置かれていた。それが観てる側からしたら鬱陶しがられた面はあったのかもしれない。

 三池監督自身、そのことを念頭に、本作は“売れる”事を最優先にして作ろうとした姿勢があるのではないだろうか?三池監督がインタビューに答え、殊更「チャンバラを作る」事に強調点を置いていたのは、この辺に理由がありそうだ。

 これを別段非難するつもりもないし、だからといって本作のおもしろさが減じる訳でもないが、これだけちぐはぐになってるのも、なかなか面白い事だと思う。

 でも逆にそのちぐはぐさがスパイスとして使われているのだから、無駄ではなかったのかもしれないな。

(評価:★4)

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