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[コメント] 愛のコリーダ(1976/日=仏)

純化された愛は、表現する術を持ちえない。 2009年5月27日ビデオ観賞
ねこすけ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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「純化された愛」とは言ったものの、ここには「セックス」しかない。

ただし、ここで描かれるセックスは、徹底的に純化されたものとして(あるいは、見方によっては徹底的に奇形化されたものとして)描かれている。ただただ、そこにはセックスがあり、愛とやらがあるだけである。そして、それが見る人の倫理感によって「異常」だの何だのといった評価になる。ただし、少なくともそういった先行する価値判断を退けていうならば、これは単に愛以外の何物でもない。

ここでの定の(あるいは愛そのものの)悲劇とは、恐らくその徹底化の末に訪れる「語りえなさ」であるように思われる。定と吉蔵の間に愛の言葉や、ましてキスシーンさえも多く描かれているとは言えず、むしろひたすら肉体(≒セックス)に関わる描写が多数を占めるのは、もはや最後の言語(記号)が肉体しか残されておらず、それゆえセックスで時間を費やすことしか出来なかったのだろう。

確かに、これはある意味で「悲劇」と言いうることだろう。言ってしまえば、二人の間には何ら社会性なるものは存在しえず、ただただ二人だけの世界が存在しているだけなのだから。従って、互いの愛情を具体的な形式に乗せて表現する術を持つことが出来ない。だが、これが「悲劇」であるならば、どうしてこれ以外の愛は「悲劇」ではありえないのか?

例えば自己紹介をする時に他人の言語を借りなければ「自己」が紹介出来ないように、“この私”の愛を表現するために、我々は何か社会的な言語を用いなければならない。それゆえ、そこには一定程度の虚飾が入りこまざるをえない。少なくとも、“この私”が“この愛”を表現することは、論理的に言って絶対に不可能なのだから。その意味で、この方がはるかに「悲劇」的ではないのか? それに比べると、もはやそういった社会的・言語的な物を排除した段階で、肉体という所与の感覚を通じた「繋がり」を志向する定と吉蔵の関係は、極めて純粋無垢であるとは、どうして言えないのだろうか。

少なくとも、そこに徹し尽くした中で訪れるラストは、一種の必然性を伴っているようで凄惨で、そして、無垢だ。

例えば、定と吉蔵の関係をして、「自己愛」という風に批判も可能だろう。

だが、この映画において描かれている「愛」や「セックス」に「自己愛」を見てとって批判することは、意味がなく思える。無論、だからと言ってこれを「愛の本質」だとして提示することは、大いに誤解が生まれそうな気がするので、そういう表現は避けるべきには思うが。――しかし、少なくとも「阿倍定は他者愛と自己愛を履き違えただけだよね」なんて澄ました顔で言ったって、(仮にそれが正しい指摘だったとしても)何も言ってないに等しいと思う(指摘としての正当性が、必ずしも有益かどうかは保証され得ない)。従って、この映画を「愛」の物語として持ち上げることには、そうした澄まし顔の「常識」に対する反論の意味では、積極的な意義があるだろう。

最終的に、定が顔でも、腕でも、脚でも、心臓でもなく、敢えて吉蔵のペニスにこだわったのは、没人格的な「男性」一般を求めたからでも、即自的な性的快楽を求めたからでもないだろう。(もしそうなら、定は連続殺人犯になっていたかもしれないだろう。)恐らく、それは徹頭徹尾「あの人(=吉蔵)」を求めたからに他ならない。だから、切り取られるべきペニスは、それ以外にあり得なかったし、切り取るべき箇所もそれ以外にあり得なかったのだろうと思う。

澄ました「常識的」で「倫理的」な見地からならば、この映画(や阿倍定という人物)は容易に断罪され、切り捨てられるだろう。だが、言語化された、理性化された「愛」を語る人間が、どうしてここに描かれた言語以前の、衝動としての、徹底的に純化された、イミテーション抜きの愛を否定できるのか。――少なくとも、一貫してドラマ部分よりもセックス描写の連続で物語が構成されていることの意味は、そういったとこにあるのではないか。

手放しで持ち上げることはできないが、僕にはこれを否定する勇気は、全く持ちえない。素直に、突き放された感動に浸らざるをえない。もしこれが「良く出来た物語」としてうまいドラマ映画にされていたら、きっと詰らなかっただろう。

(評価:★4)

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