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[コメント] ラストエンペラー(1987/英=中国=伊)

それでもドアは開かない。
ナム太郎

見事なまでに素晴らしい列車の到着シーンで始まるこの映画は、中国圏最後の皇帝と言われる愛新覚羅溥儀の一代記という体を成しながら、その実は、歴史的に実質的な最後の皇帝であった西太后の死から毛沢東による文化大革命の時代に至るまでの中国の激動の近代史を描いた作品で、一般的にはのちの『シェルタリング・スカイ』及び『リトル・ブッダ』とともに「東洋三部作」と言われるものの、個人的にはその形態が似ている『1900年』と対を成すベルトリッチ円熟期の傑作として大好きな作品である。

特に前半の、紫禁城の中に皇帝として生きる溥儀の姿を描きながら、目には見えないながらも、城外における急激な時代の変遷を感じさせるつくりが素晴らしい。城壁や門といった、皇帝としての地位を思えば、越えようとすれば、あるいは突き抜けようとすれば簡単に叶いそうでありながら、それでも城壁は越せず、ドアは開かないといった描写に終始することによって、成長段階での溥儀の懐疑心やいらだち、孤独感を深めているところがいい。

また、隔たりといえば美しくも儚い布の使い方も印象的であったが、個人的に特に印象的だったのは、蓮池沿いの一室で、少年期の溥儀が乳母の乳房にその身を埋めるのを、皇族たちが望遠鏡で盗み見するシーン。ここでは溥儀が、皇帝という立場にありながら、時代の流れとともにその立場が軽んじられていることと同時に、生まれながらにしてすべての行動を監視されている身であることが示されるわけだが、そんなことすら忘れてしまうほどに絵画的な美しい画としてフィルムに定着させてくれたストラーロの職人的な仕事ぶりには驚きを越えて尊敬の念を抱くしかないほどである。

また、晩年の溥儀が庭師として生きたことを示すわずかな描写も、皇帝としての華やかなりし頃の彼の姿を見せられた身には、まさに身につまされる哀しさをたたえた名シーンであったと思う。

ただ、実はつい最近この映画を映画館で再見したのだが、そこで上映されたのは、デジタル映像化されたものであり、結論からいうとあの心打たれるしかなかった陰影に富んだ画が、「ただの綺麗な画」としてスクリーンに映し出されていたのである。まさに衝撃であった。

先にいうと、私は決して映像がデジタルに向かっていること全てを否定しているわけではない。最初からデジタルで撮られたものには、それなりの美しさがあると感じているし、今後の映画の在り方を思えば、それも致し方ないものだと想っている。しかし、その反面、何でもかんでもデジタルに移行すればいいという風潮には少なからず疑問を感じていて、特に今回、本作を劇場で鑑賞した際にはその思いを新たにしたということだけは、声を大にして言っておきたいと思う。

がしかし、今となっては、一市民がこんなところで何かを言っていても、もうすでに「それでもドアは開かない」状態なのかもしれないが。

(評価:★5)

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