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[コメント] SAYURI(2005/米)

この映像美、古い京都の異国情緒に酔ってしまう。モス・グリーンの「湖面」に映える朱の紅葉の儚(はかな)くも絢爛たる美しさ。私はこの映画が好ましい。愛しい。ゴッホの描く「医師ガシェの絵」に於ける背景の浮世絵のように。西洋人の持つ、洗練された京都の美・日本の美に対する純粋な憧憬の念。主人公の内面の煌きを瞬時に写し取るかのジョン・ウィリアムズの音楽も秀逸。
いくけん

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







●演技について

ただ充実のひとこと。可憐で存在感のあるチャン・ツィイー(今の仲間由紀恵なら代替可能かな?)と妖艶で凄絶なコン・リーのアジアン・ビューティ対決。世界進出を果たした渡辺謙に対して、その面に付き後塵を拝した感のある役所広司(役柄のケロイドは焦燥感を現している感じがする。)の静動演技対決。いつもよりスレンダーな体躯(富永愛かと思った)で敵役に挑むコン・リーは、紅蓮のオーラを放射し、役所広司の登場する場面は渡辺謙を凌駕するかの龍の如く鋭い。しかし、そこには下品さは微塵も無い。お互い東アジアの代表として、相手を食い切らない演技(即ち、映画的完成度を低下させない)で映画を盛り立てようとしている。個人的には桃井かおりは難役にもかかわらず、いつもの舌足らずのモモイ口調(しかも英語!)で怪演してくれた事が嬉しい。(スキヤキ観たいな、食べたいな!)工藤夕貴は女性の翻意の演技を上手くしていた。これからも、パンプキンがんばれ!!そして声を大にしていいたい。他の20代30代の日本女優たちよ、海外でも通用する位にがんばれ!

●演出について

意外なことに、端正な京都の街の佇まいの美に執着した日本の映画監督は希少である。極論すれば溝口健二以来(あと補完的に市川崑)出現していないと云える。映像美を追求する映画監督でさえ数少ない。ややデフォルメ基調ではあるが、豊穣な京都の美しさを抜群の映像美で再認識させてくれたロブ・マーシャル監督を称えたい。映画が私を堪能させてくれた原因は以下の次第であろう。最初の松の枝の影からなる映画のフレーム、或いは、ラストの森でなくあえて儚い「湖面」を写したショットから判るとおり異国人としての監督の目線(旺盛な探究心と云ってもいい、P・グリーナウェー監督の『枕草子』のような、奇異の目線とは対極にある。)はブレない、安定している。その暖かな眼差しは、私が登場人物それぞれの人生に対して、感情移入する行為に差し障りは無い。そして上記、俳優陣たちの熱演と感性豊かな音楽。それらの相乗効果により、真剣勝負にして、かつ、可憐な異国情緒の世界に耽溺することが出来たと考える。

と、ここまで書くと いくけん が言う事はお判りかも知れない。 『SAYURI』にはお手本が有ると思う。 そう、ベルナルド・ベルトルッチ監督作、『ラストエンペラー』である。 異邦人の目線で捉えた、異国情緒たっぷりのデフォルメされた中国近代史。 ふたつの映画には共通項が多い。まず圧倒的な映像美、クレーン撮影多用の流麗なカメラワーク。主人公が両親と切り離される、駅に到着する(カメラアングルさえも相似する)、屋根に逃走するシチュエーションの類似がその証左である。私は『SAYURI』を観て、「ラストエンペラー」に嫉妬した中国の人々の気持ちがよく判った気がする。「ラストエンペラー」撮影当時から、中国にはチェン・カイコーチャン・イーモウという映像派の世界的巨匠が存在したからである。翻って、日本には大溝口健二がいた。しかし、現在、日本にはベルトルッチはいるのか、チェン・カイコーはいるのか、チャン・イーモウはいるのか、悔しい。国際的に 通用する本格的な映像派監督が、出現して欲しい!

ラストエンペラー』の主人公は、幼い皇帝だった故に、紫禁城という空間から脱出する事が出来なかった物語である。出口はいつも閉じらてしまう。 『SAYURI』の主人公は、芸者という自由の少ない身分であり、京都という限られた空間での物語である。出口の光(即ち、「身請け」)は微かに射してはいるが、ひとつであり一本道である。閉鎖された空間に展開し、色艶に於いて呼応するかのような二つの人生!ラストシーン、主人公「SAYURI」は、京都の彩り豊かな花街(小さな赤い鳥居の連なる道)で不自由ながらも精一杯、生きている。走っている。胸がいっぱいになる。 映画的表現として秀逸であり、ベルトルッチ、「ラストエンペラー」への見事な返歌であろう。

●余談

幼少の頃、私は京都に連れて行ってもらった事がある。森の近くに、小さな赤い鳥居の連なる神 社があった。その長い一本道を歩いて行った。何という瀟洒(しょうしゃ)で色鮮やかな演出を 京都はするにかと、子供ごごろにも感嘆したものだ。その鳥居の道は映画のそれと一致するかは判らないが。学生時代、よく京都を散策した。川沿いに映画にそっくりな長屋を見た記憶がある。静かで秘めやかな佇まい。時代も経ち、今、福岡に住んでいる。京都に対する憧れの念は募ってゆく。京都、それは私にとっての青春の遠い思い出、異国情緒。

(評価:★5)

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