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[コメント] 真昼の決闘(1952/米)

この映画が撮られた時代において、ギリギリまでスキャンダラスな映画に違いない。西部劇でありながら、「正義とは?」という問いかけが鋭く迫ってくるのだから…。(2007.05.22.)
Keita

**ネタバレ注意**
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 なるほど、確かに“西部劇”というジャンルを滅亡に導いた映画だ。現代で言えばクリント・イーストウッドが「最後の西部劇」と謳った『許されざる者』は、この映画の派生になるのだろう。前知識なしに鑑賞して、観ている最中にふとイーストウッドの名前が頭に浮かんだのだから、時代は違えどこの感覚、間違いではないのであろう。

ゲイリー・クーパー演じる主人公には絶望感が漂っている。正義を貫いているのは彼なのに、誰もそれに手を貸してくれない。スクリーンの外の観客までも…。

 この映画は、観客がクーパーの味方をしないように演出されている。街の人々が言うのと同じように、グレース・ケリー演じる新妻と逃げればいいのに、という気持ちにさせられる。

グレース・ケリーは「なぜ、夫を置いて逃げるのか」という問いに対して、正義への疑問がある旨を明確に答えているが、クーパーは「なぜ、戦うか」という問いに「わからない」だったり「そういう性分だ」と曖昧にしか答えない。

ここで、クーパーが自信を込めて戦う理由を語ると、そこで観客は一気に気持ちを高揚させるわけだが、そういう場面は一切ない。だからこそ、正義が正しいのか、正しくないのかという問いかけが妙に強調され、視点の鋭さを感じさせる。まさに、英雄的な国家であるアメリカへの問いかけである。

 「正義とは何か」に迫り、ただひとり街に佇むクーパーから悲愴感を描き、刻一刻と迫る正午の決闘までじっくりじっくり見せていく。時間の流れに厳密かと言われればそうではないと思うが、映画の上映時間と同じくらいの90分という時間で、ここまでドラマを展開できるということへ感心する。

 クライマックス。銃撃戦も非常に魅力的だし、締めくくり方も巧いとは思うのだが、ややしっくり来ない。本当は、クーパーは勝ってはいけないし、グレース・ケリーも戻ってはいけない、と思うからだ。

グレース・ケリーの場合、もう戻らないという決意が、終盤の彼女の表情にはあった。もし、戻るのであれば、戻ることをもっと暗示するべきだ。観客は彼女に一番近い視点で映画を観ることになるはずだから。

クーパーの場合、勝ってしまうと、今まで問いかけてきた正義への疑問が最後で薄まってしまうのだ。結局は勧善懲悪ではないか、と。主題を考えると、最後はクーパーの死で、とてつもない絶望と虚無を感じさせ、観客が「正義って何?」と自問自答することがベストに思える。(これが、西部劇や社会風刺劇の皮をまとった恋愛映画だと捉えるのならば、絆を強めるためのトラブルを描いたものとして、それでも非常に面白いとは思うが…。)

 ただ、それは現代に観ているからそう思うのだろう。1952年製作のこの映画。当然「赤狩り」という背景を見逃すことができない。ただでさえ風刺的視点が鋭い内容なのに、僕がベストと言ったような結末を持ってきたら、より大きな問題になっただろう。

この時代では、限界と言えるところまで突き詰めているのだと思う。その点を無視して、クライマックスの好みゆえに映画の評価を下げる勇気を、正直僕は持っていない。それを差し引いても、名作であることは絶対に否定できない作品であるから。

(評価:★4)

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