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[コメント] 小さき勇者たち 〜GAMERA〜(2006/日)

やっと少年たちのもとに『ガメラ』が戻ってきた。それは「人類の守護者」などではない、明らかな「子供の仲間」だった。
水那岐

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







もうそろそろ怪獣は少年のもとに帰ってくるべきだ、と書いたのはいつのことだったろう。旧ガメラのような大人たちのいい子ではなく、平成シリーズのような本来の観客とはかけ離れた乙女たちでもない、純然たる「子供のための」ガメラ。それはこの物語では存分に描かれていたように感じられた。

脚本の龍居由佳里は文学少女だった過去を引きずってでもいるのか、子供たちのセリフが妙に大人びていたのが癇に障ったが、それに目をつぶれば実に自由で逞しい子供たちを書き上げている。主人公の父親もまたガメラ世代であり、それゆえに子供の思いに寛容に演じさせているのが好感が持てた。

その父から吹き込まれた知識で、ただの亀から怪獣になってゆく「トト」を、透は爆死する運命にあることから救ってやりたいと悩む。父親はTVや映画で幾度となく爆死する怪獣の悲運を目の当たりにしているわけで、それが皮肉として効いている。(父親の見たガメラは平成ガメラであり年代が合っていないが、ジグラまでの時代の「子供の味方」ガメラを外見だけ平成版にリニューアルしたのか?)

敵怪獣は「ジーダス」なるエリマキトカゲのようなオーソドックスな怪獣だが、ネーミングはナザレのイエス=ジーザスJesusと、イスカリオテのユダ=ジューダスJudasの混合名だろうか?善悪を併せ持つ大人の象徴のような怪獣であり、まだ子供であるガメラの対戦相手に相応しい名になっている。この出現によりトトはガメラにならねばならぬ悲運を背負うわけだが、ガメラの守護石をかたわらに病床に伏す少女のもとから、それをトトに与える決心のついた透のもとまで、子供たちが自主的に石をバトンリレーして走り続けるシーンは鳥肌が立つ。田崎竜太はあくまで子供に守られ、そして最後には子供を守る存在に成長するガメラを再構築するために、このシーンを丁寧に撮っていったのだろう。彼ら子供が身勝手な大人の前で人間バリケードと化す場面は気恥ずかしくはあったけれど、充分許せる。俺も平成ガメラシリーズを一応評価してはいるのだが、所詮は怪獣第一世代のプライベート・フィルムのように思っている。もういいだろう。怪獣を子供たちの手に受け継がせてやろう。そんな心のこもったフィルムと俺は観た。

ラストで主人公は「トト」に向かって「さよなら、ガメラ」と語りかける。それはお互いに責任を持つ、ただの子供ではない存在に成長したことの証だ。この見事な締めくくりは、子供の胸に必ずや響いてくれるものと信じてやまない。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (8 人)がちお kiona べーたん 死ぬまでシネマ[*] Lunch[*] けにろん[*] 甘崎庵[*] tkcrows

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