[コメント] オネーギンの恋文(1999/英)
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「田舎娘」の頃も美しいので、「田舎娘」が「都会に洗礼された貴族」となるという物語の核の部分が薄らいだ。田舎娘の頃はもっと野暮ったくてもいい。野暮ったくて情熱的、それがもともとのタティヤーナの姿ではないだろうか。
だからこそ、都会を自負する変わり者男が惹かれながらも「私がこんな娘を相手にしてはイケナイ」という妙な自制心が働いたのではないかと思う。
タティヤーナが扉を開け社交界が始まる…それが6年後だった。という素敵な演出も、タティヤーナに変化がないのでしばらく気が付かなかった。
それは、嫉妬男を演じさせたら右に出る者はいないという程オハコのレイフ・ファインズに関してもそうだった。知人の公爵らの「奴は変わった」という台詞がなければ、嫌味男だった彼がどう変わったかというのは伝わってこない。
フラッシュバックでもいいので、オネーギンが苦労したエピソードを組み込んで欲しかった。そうでないと、我が侭で共感できない主人公のまま終わってしまうので、この恋の話が違った意味になってしまっている。
きっと、オネーギンの恋はこうだろう。最初からタティヤーナに惹かれているオネーギンだったが、純粋で情熱的な彼女の思いに戸惑ったのと、都会育ちという妙なプライドで素直にこの恋を受け入れられなかったのだ。物事を冷めた見方しか出来ない彼は、タティヤーナがまぶし過ぎたのかもしれない。
複雑な思いで彼はタティヤーナの恋を断った。
その後、彼女の妹の恋人(自分の唯一の友人)を殺してしまった事で彼は放浪の旅に出る。
彼は、旅の間中タティヤーナの事を思っていた。自分の生き方を真摯に反省し、今までの身勝手な生き方を悔い改め、優しい気持ちで人を見る事が出来るようになった。そしてより一層タティヤーナの純粋な気持ちをありがたく思った事だろう。こんな仕方のない自分をこうも愛してくれる女性がいたというのが、彼の支えになっていたのだろう。
しかし、彼女は結婚していた。
こうなれば、悲劇的なこの恋に胸は打たれたのだけど…。
この演出からは、タティヤーナが貴族のような気品を持って、自分にふさわしくなったから彼女を口説こうとしたとしか思えない。これでは、オネーギンの身勝手さに拍車がかかっただけにしかならない。
映像が美しく、家具、絵画、ドレス、カーテンに至るまで気品が溢れていて格調高いのに、ストーリーがその品位を下げているように思えてならなかった。
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