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[コメント] インランド・エンパイア(2006/米=ポーランド=仏)

リンチ自身の手持ちのデジカムによる撮影は、フィルムの質感を犠牲にしてはいるが、手振れや、不器用なズーミングが、覗く者=リンチの身体性を感じさせる。彼の主観に身を重ね、眼前の光景に立会う気持ちで観れば、奇妙な味わいが愉しめる。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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この楽しみ方をするには、映画館で観るよりも、テレビのサイズの方が、絶えずフレームを意識することが出来る点で有効かも知れない。実際、二度観のせいかも知れないが、僕には後でテレビで観た時の方が純粋に楽しめた。

映画撮影中の共演者同士が恋愛状態になって云々、という筋書きや、女優=娼婦という図式は既に『フランス軍中尉の女』で試みられていたもの(これが最初なのかは知らないが)。不条理な枝分かれを繰り返しながらも曖昧に円環構造に入っていくのもいつものリンチ流。本作が到達し得たものとは、意味有りげな雰囲気と、意味不明さとを三時間に渡って徹底させることによる抽象性の獲得。

時刻や記号、何げない台詞が示す符合の反復。見えざる者の気配。部屋や場所の移動が、登場人物の自己同一性を崩す。シーンやシークェンスの転換がそのまま別のフィルム(映画)への転換であるかのような多重性と、別々のフィルムが図らずも連結したかのような、符合性。この、繋ぎ間違えたフィルムのような居心地の悪さと、不安感。

布に空いた穴や、壁に空いた窓、といった、遮蔽(布、壁)と開口(穴、窓)による、異世界への窃視症。映画のセットとして用意された壁の窓が、幽霊、分身との邂逅の場となるのは、その為だ。またこのような開口部は、ヴァギナの穴、腹に空いた穴、という形で、女の肉体に於いても表れる。恰も彼女が、異界そのもの、空虚の暗闇そのものを懐胎したかのように。内なる帝国、Inland Empire 。

そもそも‘映画’なるものは、本作で様々に登場していたような特殊なシチュエーションを無根拠な前提とし、その内で本当らしい物語を展開する騙りの芸術以外のものであり得るのか。その虚構性を暴力的に暴きつつ、なおかつそれをもメタ映画、暴力的映画として平然と完成させてしまうリンチ。或いは彼自身もまた、‘生/死’や‘虚/実’を融解させ呑み込んでしまう映画というものに取り込まれてしまったのだろうか。

映画『47』のリメイク作品の撮影、というのが一応は事の発端となるわけだが、この『47』の主演二人が死んだという挿話は、「自分を失う」という意味では、リメイク版の女優に於いても反復されている。自己同一性を剥奪されて彷徨し続けた果てに、安らかな死を迎えたローラ・ダーンの姿が、カメラが退くに従ってそこが撮影現場であるのが明らかになり、その救済的な死さえもがカメラのレンズ越しに覗き込まれた虚構であることを顕わにする場面は、劇中で最も不気味な場面だ。なにしろこれは、映画というものそれ自体の不気味さを顕わにしているのだから。

それにしても、リンチが闇と光、更に音響を駆使した簡素な手法で、瞬間的に異界を開いて見せる手腕は、やはり只事ではない。彼はデジカムなどという文明の利器を手にしていても、その感性は、遥か昔の人類が、洞窟の闇や火の明りに精霊との交感を体験していた時のような、原始的な本能に導かれているように思う。これこそが、単なる映画好きの域に留まらない、美術家であり音楽家でもあるリンチの特異な存在の証明なのだ。

終盤の映画館の場面での、開いた入口の向こうに伸びる階段の下に立つ男が、彼の姿を浮き上がらせる照明の色だけで、異界の存在として立ち現れる演出は、その簡潔さと完成度に戦慄させられる。

冒頭の、引越しの挨拶に来るグレイス・ザブリスキーの予言(何か、この映画の大雑把な撮影・編集方針を告げているようにも見える)と、同じ居間にダンサーたちや(何故か)木こりや猿や何やらが闖入するエンディングに至るまで貫徹された、或る場所に或る人物が訪ねてくる、という単純極まりない出来事による現実感の崩壊(だから初見では単純すぎて期待外れに思えてしまう)――リンチは、映像の持つ魔術性を、一つの形で極めたと言える。

それにしても、僕にはローラ・ダーンの顔は、どうもどこかリンチに似ているように思えてならない。リンチは女性化された自身の分身を撮影している気分だったのではないか、などと邪推してみたくもなる。

(評価:★5)

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