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[コメント] 自虐の詩(2007/日)

原作から設定とセリフだけ抽出したオリジナルのメロドラマ。どこをどう切っても安心して泣けるイイ話ではあるのだが……
林田乃丞

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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「ここが原作と違う!」と指摘してもあんまり意味がないので映画単体として感想を述べれば、散漫でキャラクターに一貫性のないアンバランスなストーリー展開ということになりそう。

 まず、“ちゃぶ台男”イサオなのだけれど、幸江さんとの出会いを描いた回想のシークエンスの中で現在のイサオを想起させるような描写がなく、同一人物とは思えなかった。当時のイサオは幸江さんに尽くす側であり関係性は完全に逆転しているわけだが、尽くすにしても“ちゃぶ台男”なりの破天荒でエキセントリックな「尽くし方」をしてくれないと、キャラクターが成立してこないように思う。幸江さんが事故に遭ったあとの変節も同様で、この映画の中だけでイサオという人物を見渡してみると、昔は「ちゃぶ台をひっくり返さなかった純愛男」であり、現在は「ちゃぶ台をひっくり返す家庭内暴力男」であり、事故後は「家庭内暴力の悪癖が治った男」ということになる。するとキャラクターとしての“ちゃぶ台男”が単なる一時的な気の迷いだったことになり、結局この人がどんな人だったのかがまるで伝わってこないのだ。

 それと、幸江さんが歩道橋から落ちた理由が判らないのも不満だった。何の伏線もなくいきなり手すりによじ登ったかと思ったら、何の理由もなく落ちる。単にイサオを改心させるための段取りとしての「意識不明」なのだ。明らかに強引で、受け入れ難い展開だった。

 また、この物語が「泣かせ」のギアを入れるのは熊本さんとの殴り合いのエピソードからなのだけれど、この最初のクライマックスを主演女優で描けなかったのは明らかに映画の弱点になっていると思う。幸江さんの少女時代を演じた子役が良いとか悪いとかの問題ではなく、構成として「主人公幸江=中谷美紀」の痛みが直感的に伝わりづらかった。

 さらにもうひとつ。ラストカットで「そうして3人は幸せに暮らしましたとさ」という映像を見せながら幸江さんに「幸も不幸ももういい」と言わせるのは、これは欺瞞だろう。この物語の中の幸江さんは幸せを求めて幸せを掴んだ人だ。「ちゃぶ台をひっくり返さなくなった旦那」をついに手に入れた(取り戻した)人だ。幸せを掴んだ者による「幸も不幸ももういい」というセリフは大富豪の「金なんかいらねえ」とか東大生が「学歴なんか意味ないっすよ」と言うのと同じで、持たざる者の反感を煽ることはあっても万人の心に響くセリフではないだろう。この映画は事故による「不幸」から「幸」へのシフトを物語の主軸に据えて泣かそうとしているのだから、最後には「私は幸せだ。たいへんうれしい。」と言わせるべきだと思う。そうなるともう完全に『自虐の詩』ではなくなってしまうのだけれど、イサオと幸江の関係性の修復に重きを置いた時点で「幸も不幸ももういい」っていうセリフは成立しなくなってるんだよね。

 ひとりの女性が胎内に命を宿し、その荘厳さと神秘性の中で魂の再生を果たしてゆく原作の味わいとは遠くかけ離れた、メロドラマとしての映画『自虐の詩』。★3です。

(評価:★3)

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