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[コメント] マーズ・アタック!(1996/米)

「バカ映画」であるにもかかわらず、あるいは「バカ映画」であるがゆえに、バートンの演出の巧みさが際立つ。もっと馬鹿馬鹿しくてもよいと思う。
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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権威・スノッブ・精神的マッチョに対する悪意とマイノリティへの愛、といういかにもバートン的な態度が、娯楽活劇のカタルシスを生むものとして真っ当に機能して(しまって)いる。そのバートンの手捌きが見事すぎるあまり、本来この映画が目指すはずの馬鹿馬鹿しさが減じてしまっているのではないか。云い換えれば、馬鹿馬鹿しささえもしっかりと物語に奉仕しており、無駄なものになっていない。一例を挙げると、火星人が「プレイボーイ」を読むというくだりは一見この上なく馬鹿馬鹿しいものだが、しかし、のちに登場するリサ・マリー(地球人女性に扮する火星人)の伏線となっている。確かによくできていることは認めるが、いささか白けてしまいもする。

では具体的に何をどうしてほしかったかと云うと、たとえば、宇宙船内部の種々の装置はもっと想像を超えた馬鹿馬鹿しいデザインであってほしかった。もちろん、この作品(のコンセプト)においては宇宙船や火星人はチープなCGによる既視感バリバリのデザインである必要性があった、ということは理解するけれども、「必要性」とはすなわち「意味」であり、意味を含みすぎる馬鹿馬鹿しさはもう馬鹿馬鹿しさとは呼べないだろう。

そういった点で云うと、リサ・マリーの歩き方は唯一文句なしにすばらしかった。あの歩き方は「意味づけられること」をかたくなに拒否し、ただ過剰なまでの馬鹿馬鹿しさだけを撒き散らしている(むろんこの奇妙な歩き方にも「彼女は実は火星人である」ということを示唆する「意味」はあるが、しかしただそれだけのためならあそこまで奇妙な歩き方である「必要性」はまったくない)。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (5 人)りかちゅ[*] Orpheus[*] DSCH[*] ジェリー[*] けにろん[*]

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