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[コメント] パラサイト 半地下の家族(2019/韓国)

落っことされた細部が魅力的過ぎてむしろ不可解な出来。「pretend(〜フリをする)」の主題が、なぜ「豊かな家族」側でも語りが貫徹されなかったのか。「豊かな家族」という「みたされた生活」「円満な家族」という「幻想」への「寄生」。その幻想を補完するためのツールとしての「半地下」だったとしたら?「寄生」を試みたのは「金満家族」側も同じだったことをもっと明らかにし、深彫りすべきだったのではないか?
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







家庭教師におさまる半地下兄が「pretend」を入れて構文を作ろう、と金満娘に言う。これが「parasite」に次ぐ、ないし同等の映画の主題であると暗示される。

半地下側はエリートの偽装という文脈でこれが語られる。これはわかりやすい。ところが、金満家族側にもこの主題がバラまかれているのに、これがほとんど回収されない。

金満家族のpretend

・金満息子→天才(変態)のフリ。

・金満父→愛妻家のフリ。

・金満娘→純真娘のフリ。

・金満母→「満たされている」フリ(重要。半地下兄の初回訪問時、何もせず庭で居眠りをしているシーンは彼女の「怠惰」ではなく「虚無」として提示されていると思う)。

要はこの家族の豊かさは嘘(フリ)だらけの上に、お互いにその嘘に気づきながら、嘘を塗り重ねてその生活を維持している可能性がある。その嘘を補完するものとして、この半地下家族がパズルのピースのようにはまっていく。金満娘の「天才」という嘘を認める半地下妹。「純愛」という嘘を演じることそのものが目的になっている金満娘にフィットする白馬の王子様的半地下兄。鷹揚さを半地下父を介して演じる金満父。そして、これら全ての「フィクション」が肯定される「環境」を「演出」する金満母。

偽りの豊かさに溺れるという点で、この家族も社会に踊らされているという点では同等なのだ。嘘に長けているのは半地下側ではなく、むしろ金満家族側なのではないか。これをもっと明らかに示すべきだったと思う。事実、それが出来るはずのツールがふんだんにあるのだ(娘の日記には何が書いてあったのか。半地下を「ゴースト」、ないものとして片付ける息子のてんかん発作、それを現実と認めることは金満家族の「幻想」維持に致命的だったのではないか。これも演技だったとすれば?そして元お手伝いさんとメールやりとりしてるとは何だったのか。)

こいつらが「全て気づいていた」上で演じていたのだとすれば?それが何かの拍子にくるっとひっくり返って、安牌、チョロいぜと思われた金満家族が突然匕首向けてくるような、端的に「ヤングアンドシンプル」な奥様が一番ヤバい奴だった、っていう作りの方がサスペンス的にも絶対面白いし、金満娘が半地下兄に「あんたバカじゃないの」って言ったら絶対エキサイティングだし、最終的に半地下×金満家族共々ぶっ壊れて嘘の暴き合い三竦みでタランティーノばりの膠着状態からのカタストロフ、そしてその後で「あなた達の嘘は知っていた、それでもあなたたちみたいな貧者が私たちの幻想のために必要なの、ニヤリ」という「戦慄の共生」みたいなものを提示したほうが、面白かったんじゃないかと思うのだ。

金満家族が酒宴の臭気に、這いずって逃げる半地下父に気づかないフリをしていたのだとすれば?前半は前振りに過ぎない、自分はここからが本番だと思ってワクワクしたのだが、階級意識の穴で半地下の臭気に鼻摘んで自滅するような、それこそシンプルな話にしてしまったのは、なんだかつまらない話だと思う。なんだ、マジで気が付かなかったのかと。このオチになってしまうと、語らないことによって語るような高等手段、意識的に落っことされたものには思えないのだ。ロケーションの寓意などはもちろん了解するし、面白いか面白くないかでいえばとても面白かった。でも、個人的に、とても不可解だし、もっと深く、面白くなったと思うのだ。

(評価:★3)

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