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[コメント] シン・ウルトラマン(2022/日)

ポスト『シン・ゴジラ』の強い日本かと思いきや、生きることに飽いた、生かされていることを忘れた日本。庵野印の厭世観で「そうそう、これこれ」なのだが、狙って、皮肉に時代が捉えられている。自らの作品をパロディのように扱ってもおり、人を食ったアクロバティックな作りだが、ウルトラマンの濁りのないデザインが、ギリギリの所に映画を着地させた。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







樋口監督の映画でありながら、どうしても庵野さんの映画としか観ることが出来ず、ウルトラマンを全く通過してこなかった個人としての感想です。

まず、『シン・ゴジラ』が数時間かけて達成した災厄との戦いを、冒頭ものの数分で駆け抜けてしまう。お得意の字幕の説明は脱臼気味で、巨大なタカみたいなカイジュウの失踪劇は明らかにギャグだし、逃げるモブには(明らかに意識的に)緊迫感がない。「災厄が日常になった日本」という説明があって、なんとなく勝手に『シン・ゴジラ』後の世界なのかと先入観を持って観始めたのだが、これはパラレルな日本として描かれている(同じようにパラレルであるが、『巨神兵東京に現る』の日本に近い)。東京駅は健在で、ゴジラの「遺構」もない。竹野内豊が似たようなポジションで登場するが、長谷川博己はおらず、いまいち冴えない役どころで、瞑目する無策の総理に喝を入れることもない。他人事のように世間話として話される破壊。禍特対の「軽さ」も含めて、娯楽作劇の要請としての「軽やかさ」を装っているだけで、実際、重みがない、という意味での「皮肉な軽さ」であり、それは(おそらく)狙って演出されている。

ともかくここには『シン・ゴジラ』にあった「重み」が意識的に失われている。賛否はあろうが、私はあの映画は震災を踏まえた「本物」だったと思っている。吉村萬壱がある小説に書いたように、まだ厄災から世界を取り戻せる、と人間が信じた時代の話だ。人間が描けない、と師匠から叱咤され続けた中で、よちよち歩きだが、「本物」を物した映画だと思っている。震災や戦争を思い出せ、と言っていた。そこから立ち上がることもできると。そこに嘘はなかったと思っている。

しかし、これはあの映画とは無関係の世界であると意識的に描かれている。同じやり口が興行として通用しないから、ではなく、こうする必要があったからだ。残念ながら、もう私達は忘れつつあるのだ。あるいは見て見ぬふりなのか。決定的なのが、大気圏外で待機するゼットンの霞んだシルエットをバックに蕎麦をすするおじさんの件で、この皮肉には震えた。私はこの映画を『シン・ゴジラ』のパロディであり、本来的にネガティブな作家性を活かした壮大な皮肉として捉えました。これは震災から約10年という時勢も捉えており生々しい。やはりカイジュウは日本に現れなければならないのだ。思い出さなければならないのだ。自助ではどうにもならないくらい、日本は弱っている、というより、無自覚な虚無の中にいる(※)。このテーマを、エヴァのインスピレーションのもとであるウルトラマンを、オマージュではなく自作のパロディとして撮る。こういうことをする映画作家って、いるのだろうか。興行的には結構な冒険だと思います。

あんまり人間が好きじゃないというところが庵野さんの正直なところであって、ただ、私の中では好きと嫌いの両極を揺れ動くのが信頼できる作家なので、私の中ではそれは大きな問題にはなりません。この人らしいなと思うし、共感すら覚えます。一方、それだけでは流石に興行が成立しないので、じゃあどうするかというところで、ウルトラマンというブレないキャラクターが生きたと思う。「そんなに人間が好きになったのか。ウルトラマン。」というゾフィーの台詞は、あの光の星の住人の濁りのないフォルムだからできるのであって、神なのか邪神なのか分かりにくい(わざとわかりにくくしている)エヴァのフォルムでは成立しない。ウルトラマンのまっすぐな造詣によって、映画が絶望から救われている。根拠が薄弱だとしても、好きな理由はえてして説明がつかないものだ。その確信に触発されて、はじめて禍特対が希望を持つ。言い訳がましく挟まれる、公園の子どもたちのシーンだって、やっぱり無視は出来ないのだ。少なくとも子どもを持つ親の身としては。絶望と虚無に呑まれてはならない。ひとかけらでも希望がある間は。

ウルトラマンは一切関わりなく生きてきて、初めてまともに触れた。カッコいいと思ったことは一度もないが、今回、まっすぐで衒いのない立ち姿が美しいとは感じた。確信、信念を感じさせるからだろう。まっすぐさは時に禍々しさでもあるのだが、それはゾフィーを通してそのようにきちんと描かれているし、結局、よいバランス感覚だったのではないだろうか。

それはそれとして、それらを差し引いても、やっぱり爆発演出でモトが取れたのだった、、、つくづく「爆発の庵野」だと思う。また、やっぱり他では観られない画を見せてくれる作家だとは思う(くるくる反重力ムーンサルトキックの軽さに反して、ヒットして地面に叩きつけられるカイジュウの重量感など)。ここはやはり買いたい。ただしセクハラには呆れた。

※「日本」が弱っている、というのは、外部の脅威に対して集団的自衛権とか改憲すべしとか、その類の政治的文脈で書いているものではありませんので念のため。そこは深入りしません。ただ、自分達が今どういう政治状況にあり、何が失われようとしているのか、何かが、それも日本の内側から破壊されつつある(或いは既に破壊された)ことに無自覚な虚無(瀕死の主権者意識)を批判すべき、という文脈で書いています。

(評価:★4)

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