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[コメント] 戦場のメリークリスマス(1983/英=日)

「菊」に対置される「赤いハイビスカス」。「恥」と「誇り」。「神道」と「キリスト教」。象徴と象徴のせめぎ合いを暗示する数々の要素を負うという意味において、演技の巧拙は措いても、アイドル(偶像)のキャスティングが必要不可欠だったのだろう。ヨノイの「よろめき」をセクシャルな面だけで捉えてはならない。
DSCH

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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恩給のタバコに印刷された菊の紋を、ヨノイがじっと見つめるシーンがある。脳裏にはセリアズが見せたハイビスカスがよぎっただろう。赤いハイビスカスの花言葉は「勇敢」である。対して菊は「高貴」であり、皇室の紋。ヨノイの「よろめき」は、彼が「奉公」として命を捧げている「神」が、敵と謗っていたはずの、異なるようで同じ「誇り」と「恥」を持った「敵性文化」に相対化されていく過程でもある。そして、それはセリアズの両頬のキスでとどめを刺されることになる。反発していた磁石の極と極が、惹かれながらも遠ざけようとして引き裂かれながら先鋭化するヨノイの振る舞いも虚しく、遂にひっくり返り、「カチッ」と転換してしまう。セクシャルな面だけではない、この「よろめき」の強烈な磁場転換。あらゆる象徴とエピソードを介してこれが語られている。キスの場面に続くヨノイの卒倒でのカメラの揺れは偶然の賜物であるらしく、その結果も通俗的なものではあれど、効果的だと思う。舞台は敗戦前夜。思うに、これも一つの「敗戦」の形として提示されたものだったのではないか。

「お前らの神だ!この神がお前らをこんな風にしたんだ!お前らのクソッタレな神を呪ってやる!」ハラに打擲されてもハラを憎んではいない、恥ずかしくないと主張するローレンス。ちょっと聖人過ぎるきらいもあれど、要はそういうことなのだろう。ヨノイもハラも否定されていない。何しろ二面に引き裂かれた彼らの両頬にキスがされるのだ。しかし否定とまでは言わないまでも原作者が、そして大島渚が相対化しようとしたものは何か。大島渚については多くを知らないので評価できないけれど、単に反戦とか人権侵害の告発とか人類愛とかいったトピックとは別の部分にも間違いなくあるだろう。ここで相対化された「神」とは何だったのか。終盤で「憑き物」の落ちたようなハラの境地、「敵性語」たる「メリークリスマス」を投げかけさせたものは何だったのか。ここでのたけしの演技は最高である。この透明感。大島渚は「たけしがいいでしょう、たけしが」と周囲に語ったらしい。ここで笑い声を上げた明石家さんまはじめ日本人は心から恥じるべきであろう。

(余談)

初見時(つい最近)は台詞が聞き取れないこともあって何じゃこりゃと思ったのだが、再見して(自分なりに)読み解く気持ちにさせられたのはひとえにたけしの演技と菊の御紋をきっかけにしたものである。たけしの表情が棘のように刺さって抜けない。こどもの頃に宝物にしていたTSUTAYAのビデオカタログに「終盤のたけしの狂気が刺さる」的なことが書かれていたのを思い出したが、てんで違うと思う。こんなに澄み切った演技はなかなか見られない。

個人的な好みだが、主題曲を冒頭から使ってしまうのは早計に過ぎる。終盤のたけしの独白からちびりちびりとイントロを始めて、エンドロールでサビ(?)突入が適切だと思う。なお、このオープニングはカメラがブレブレだし構図にドラマが見えないので、ここでいったん「残念映画」かもしれないと思ったのは事実。撮影監督は名手のようなのでなおのこと解せないのだが、何かあったんでしょうかね。

内田裕也はどうしても意味付けが出来かねる。このキャスティングを説得的に解釈できる評を拝読したいものです。

(評価:★4)

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