★5 | パニック(1946/仏) | 美しい光と影が不穏である。美しい構図もまた不穏である。見えている光景を侵犯し続ける見えない何者かが画面の奥にいる。途轍もない数の人たちを登場させて一糸乱れない演出の冴え。監督は天才か。そしてミシェル・シモンは紛れもない天才。 | [投票] |
★3 | 牝犬(1931/仏) | 冒頭のギニョール劇の大失点ゆえに前半部は不調ながら後半部は格調高い演出が続いてぐんぐんとよくなり、最後は人生の皮肉さをこれ以上ない程の具体性をもって見せる。編集のうまさは山中貞雄の域にある。ジョルジュ・フラマンという役者が面白い。 | [投票] |
★1 | 坊やに下剤を(1931/仏) | 下剤におまるで、ここまで引っ張るのに唖然とする。力技もほどほどに。主役の夫婦の演劇的で大仰なふるまいに関心するが、さすがに時代を感じさせるし、額縁然とした映画のフレームもできれば無かったことにしてもらいたい。 | [投票] |
★3 | 素晴らしき放浪者(1932/仏) | 映画の中に教訓をもちこむことへの、自由意志に基づく断固たる拒否を感じ、そこがフランス風に知的だ。型破りなキャラクターに見ている我々もが激怒し混乱し疲れ果てる。ミシェル・シモンの演技の巻き込む力は確かに見ものだが、ここまであくが強いのは好みではない。 | [投票(2)] |
★3 | 霧の波止場(1938/仏) | 「事情」ある男や女の「事情」の説明はほとんどない。映画が「説明」ではないことを証明するには最適の、明瞭な骨格を持った教本的映画。解釈の規則(コード)は一つだが多様な解釈をとりうる映画もあれば、解釈の規則(コード)が多様な結果として解釈が多様になる映画も存在する。この器の大きさが映画の魅力なのだ。 | [投票] |
★5 | アタラント号(1934/仏) | 冒頭、画面の下辺から蒸気が立ち上った瞬間にわが身が快感で総毛立つ。ムルナウの構図感覚に、エイゼンシュテインのクローズアップのセンスと、シュトロハイムの作劇術が統合された傑作。特権的な魅力に満ちたこの船を超える乗り物を後世代の映画作家は作りえただろうか。 | [投票(1)] |