★4 | 十三回の新月がある年に(1978/独) | 主人公は孤独に違いなく居たたまれぬ惨めに苛まれてる筈なのだが一生懸命に生きようとする。1つの縋る思い出があったからでそれが打ち砕かれ彼は死ぬのだが演出は献花めいて湿り気はない。シュアな撮影と呵責ない現実提示が覚悟のほどを示してやまないのだ。 | [投票] |
★4 | 自由の代償(1975/独) | 特筆すべきは語りの省略でファスビンダーが描きたいものに注力するに不要と見做されたのは偏見とかも等位なのだろう。搾取側の論理とそれに踊らされ貪り尽くされた男の純愛を冷徹に突き放し描いていく稀代のリアリスト。バルハウス撮影の膨よかさも。 | [投票(1)] |
★2 | ケレル(1982/独=仏) | 腐って汁が爛れ落ちる果実の色合いと匂い。この人工美で貫徹された世界が完成度が高いと言うならそうなのかも知れない。ゲイの精神的側面ではなく肉体面のアプローチに徹したかの如き世界観は正直つらい。これがファスビンダーの遺言なら納得はするが…。 | [投票(1)] |
★3 | 焼け石に水(1999/仏) | 図太いおっさんが勝ち残ってしまうのが人生ってそんなもんという諦念につながる一篇なのだが3者3様に靡いて蔑ろにされるというM連鎖が感情寄せる部分も無いままヘタレダンスで一体化というキッチュ。結局おっさんが若者を口説く導入が一番サスペンスフル。 | [投票] |
★4 | マリア・ブラウンの結婚(1979/独) | 敗戦国の戦後という退廃を旨とする作家の自家籠中世界のヒロインが一途な愛を貫くのが泣かせるが、一方で切り捨てられる数多の男たちは哀れだ。スペクタクルな世界に毒と純情を程よくブレンドしファスビンダーが大衆寄りに転回した記念碑。 | [投票(1)] |
★2 | ぺトラ・フォン・カントの苦い涙(1972/独) | 限定されたサディスティック密室劇でさして魅力的でもない中年女性の鬱屈した精神の変容を見つめ続けるには、多少の叙述レトリックは必要だったのではないだろうか。例によって青を基調とするバルハウスの撮影も相当に単調で描写に魅力を感じられない。 | [投票] |
★5 | ベロニカ・フォスのあこがれ(1982/独) | ドイツ版『サンセット大通り』を、光と影の極度なコントラストや技巧の粋を行く多くの小道具等、意識的に刻印された戦前ドイツ表現主義の残滓で縁取り、一方でシークェンスごとの情感は遍く濡れている。更に得意の退廃をも織り込んだ凝縮の宝石。完璧である。 | [投票] |
★5 | 不安は魂を食いつくす(1974/独) | 分かり易い女心と恐らく自分でも判じ難い男の心情。緩やかなトラックアップやダウン、横移動などがジョニー・トーめいた圧をもたらし、寡黙な男や女たちはカウリスマキ世界の住人のよう。その意図せざるキッチュが逆説的に俗話を崇高なものに高める。 | [投票] |
★5 | 苦い涙(2022/仏) | 甚振り尽くし最後にぶった斬るサディスティック展開は女が主人公だと露骨なミソジニーがキツいのだが、オッサンに置き換えると爆笑譚に転じるというコペルニクス的発見。ファスビンダーへの私淑は配役への絶妙の目配せを経て高度なエピックへと連結する。 | [投票(1)] |