「走魂ふるわすバイク映画。」(ホッチkiss)の映画ファンのコメント
ぽんしゅうのコメント |
マッドマックス(1979/豪) | カタルシスとは我がまま、かつ正直なものだ。たとえば、任侠映画は肩で風切って映画館を後にできる。『追想』も『ローリング・サンダー』も、そうだが家族の喪失に対する復讐は、どこかやりきれなさが付きまとう。主人公に同化したくない、という無意識の拒否。 | [投票(6)] | |
オートバイ少女(1994/日) | 映画は現実社会のシステムや、人間的な係わり合いを何らかの形で反映しなければ意味がない、などとは決して言わないが、この映画の監督であり、主人公の父親役の心情的モデルだと思われるあがた森魚の現実からのずれ方は、あまりにひどすぎる。 [review] | [投票] | |
ブラックレイン(1989/米) | あくまで日本仕様の高倉健の芝居がマイケル・ダグラスと噛み合わせが悪いのだが、そのギャップがリアルともいえる。一方、国籍やジャンルを凌駕する松田優作のぶっ飛び方は異国間差異を無化するファンタジー。このバランスの悪さが魅力といえば魅力。 | [投票] | |
イージー・ライダー(1969/米) | [ネタバレ?(Y6:N8)] 中学生のとき、自転車をチョッパーハンドルに改造して乗っていたが撃たれずにすんだ。 | [投票(14)] | |
M:I−2(2000/米) | M:Iはあの「スパイ大作戦」ではないと知ってしまったからには、しかもトム君などにいささかも興味のない身としては、本作はタンディ・ニュートンの映画として観る。競馬場でのノーブラ・タンディの存在感こそが、お馴染み中吊りトムを凌駕して余りある。 | [投票] | |
アラビアのロレンス(1962/米) | 変わり者の矜持と挫折を描いて、この哀切は比類ない。ロングショットによって極少化された人影は、そのまま人の営みの小ささを誇大化する。「何もない」砂漠が狂おしいまでに美しく、ピーター・オトゥールのキングズイングリィシュの音列もまた耳に心地よい。 | [投票(1)] | |
彼のオートバイ、彼女の島(1986/日) | 10代の少年少女の危うさをあれほど瑞々しく描く大林宣彦監督が、未だかつて20代の青春をちゃんと撮れたためしがないというのが邦画界七不思議のひとつ。この作品も主演の二人をはじめ、出演者全員が幼稚なガキにしか見えない。 | [投票] | |
モーターサイクル・ダイアリーズ(2004/米=独=英=アルゼンチン) | 青年たちは大自然の中で自己の矮小さと格闘し、未知の人々との出会いで生活の意味を知り、マチュピチュ遺跡で文化と闘いの歴史を感じる。期待と迷いのなか旅立った男が、ひとりの女の愛の代わりに南アメリカの民という新たな恋人を見つけるまでの物語。 [review] | [投票(9)] |