★4 | ドゥニ・ラヴァンには一一作品分の出演料を請求する権利がある。各所の発想に認められるギャグマンとしての才、鮮やかに文体を更新したレオス・カラックスの演出は最大級の賛辞に価するが、映画はラヴァンの酷使を前提に成立している。演じることの疲労において、ラヴァンとオスカー氏は限りなく等しい。 [review] (3819695) | [投票(1)] |
★3 | カラックスを愛すべきイジケ野郎だとは思うが、にしても刹那に耽溺し自虐的に過ぎないか?正直ミノーグがビノシュに重なり痛々しく照れ隠しのウータンは白ける。ラヴァンの11変化は唯一「メルド」が破壊的だが哀しいかな焼き直しなのだ。 (けにろん) | [投票(3)] |
★5 | 傑作。なんという刺激に満ちた映画だろう。開巻の白樺が描かれた壁の造型を見た瞬間、既に飛び抜けたビジュアルセンスを感じる。そしてラストまで、ずっとニヤケっぱなしになり、映画って楽しいなって心から思うことができる。
[review] (ゑぎ) | [投票(1)] |
★3 | 演じ続けることの哀切と滑稽。仮想現実の性技のために肉体を失い絡み合う雌雄、非理性を象徴する怪人と脱母性的女が口ずさむ子守唄、虚実まみえる廃墟での通俗的再会と別離。各部は刺激的なのに総体が希薄なのは反復の弊害か。深夜の愚痴り合いは痛恨の蛇足。
(ぽんしゅう) | [投票(3)] |
★4 | 冒頭で提示されるマレーの連続写真のように、映画の原初的な力を取り戻すこと。カラックスは突発的アクションの可能性に賭けたのだろう。突然犬が現れ、突然髪の毛を齧り、突然楽隊の行進が始まり、突然歌を歌い出す。『ホーリー・モーターズ』にはあらゆる「突然」が詰まっている。 [review] (赤い戦車) | [投票(3)] |
★4 | 冒頭、映画ツールのはじまり、根源的なモンタージュが示される。人生とはその役柄を演じることである様式の様々なエピソードが10以上も映像化される。人生とは虚飾であり、われわれが生きていることはすなわち仮面の世界である。 [review] (セント) | [投票(4)] |