[コメント] 続・激突! カージャック(1974/米)
例えば『俺たちに明日はない』(67)のボニーとクライドは端から行くあてを持たないし、『明日に向かって撃て!』(69)のブッチ・キャシディとサンダンス・キッド、そしてエッタの三人はボリビアを目指すが目的は漠然とした未来を求めてだ。『真夜中のカーボーイ』(69)のバックは憧れだけでニューヨークへ向かい、再びラッツォとともに憧れのフロリダを目指す。『イージー・ライダー』(69)のキャプテン・アメリカとビリーの旅にも目的など存在しない。もちろん例外はあるが、アメリカン・ニューシネマと呼ばれる映画群の若い主人公は目的なく、そうせざるを得ない理由すら自分でも判らぬまま、ただひたすら彷徨う。しかし、本作のジーン(ゴールディー・ホーン)とポプリン(ウィリアム・アザートン)のシュガーランド行きには、自分たちの子供を取り戻すためという明確な理由と目的がつけられている。
さらに前出の作品群では、主人公を追う立場にある追っ手や警察、あるいは彼らを取り巻く世間の人々には、まったくといってよいほどキャラクターは与えらず、目に見えない権力や因習の総体として描かれている。理由も目的もなく、時に秩序を乱しながら無邪気に彷徨う目障りな若者たちを、いつのまにかじりじりと追い込む体制という総体。それが、アメリカン・ニューシネマの構図だったと思う。しかし、本作では追う側にベン・ジョンソンという明確なキャラクターを配し主人公たちにはっきりと対峙させている。
目的と対峙者の存在。これは簡単に言ってしまえば判りやすさ、すなわちエンターテインメント性の導入である。つまりスティーブン・スピルバーグは、アメリカン・ニューシネマのテイストを借りながら、意識的か無意識かは知らぬが、その系譜に終止符を打ったのだ。70年代中盤以降の、ハリウッド映画復興を牽引したスピルバーグの活躍ぶりを見れば、あながち妄言ではないと思う。
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