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[コメント] チルソクの夏(2003/日)

戸惑いや喜び、悲しみや決意のだびに見せる郁子(水谷妃里)の表情のなんと素直で瑞々しいこと。まさに無垢の輝き。しかし、何度も心地よい郷愁の世界にのめり込みそうになる私を、その度に引き戻すのは郷愁のために準備された仕掛け。哀しい矛盾だ。
ぽんしゅう

まさにこの映画のマーケティングターゲットである70年代の高校生であり、どっぷりと作品世界にひたるはずだった私の前に立ちはだかった壁。それは不幸にも佐々部清監督が準備したノスタルジーへの誘い水として配された数々の70年代的事象だった。

お決まりのモノクロセピアの導入部。40歳代なら、思い出を持たぬ者などいない山口百恵とピンクレディ。当時、見た者全員が笑い、涙しただろう『幸福の黄色いハンカチ』。あっという間に夜の街の主役になったカラオケ。プロ野球ファンならずとも目を見張った広島東洋カープの江夏豊。そして「なごり雪」。しかし、意図的に、しかも過剰に配された郷愁のための事象では決して人の心を動かすことはできない。

時代の道具立てや出来事がノスタルジーを生むのではない。まず少女達の無邪気で純粋なひた向きさがあり、スクリーンに投影されたその姿が、今はもう見えない、しかし確実に存在している自分の心の領域にすっぽりと納まったたとき人は郷愁を感じるのだ。なぜならどんな社会的事象よりも、文字通り身をもって体験した10代の身体と心の高揚そのものが郷愁なのだから。

その意味では、四人の少女達は充分過ぎるほどその役割を果たしていた。時代の臭いは、その背景に感じられればそれで充分なのだ。佐々部清は、大林宣彦ほど故郷と少女に信頼と思い入れがないのかもしれない。あるいは、彼のマーケティング的サービス精神が過剰に働きすぎただけだろうか。

蛇足

特に、何の工夫もなくただ感情的に過剰な加羽沢美濃の音楽(選曲ではなく)と、ノスタルジーを具現化してしまうような落ちの付け方が、輝く4人の少女達の好演を無に帰してしてしまった罪は重い。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (7 人)にゃんこ[*] おーい粗茶[*] ナム太郎[*] ミドリ公園[*] ことは[*] 水那岐[*] スパルタのキツネ[*]

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