[コメント] ラヴィ・ド・ボエーム(1992/仏=伊=スウェーデン=フィンランド)
貧乏であれ何であれ、決して死を選択肢にいれない姿に残酷さを感じたりする。が、カウリスマキの理念に沿って検証すると、それが残酷でないことがすぐに分かる。リアリストでありながら幻想的な映画を撮りたいという、一見矛盾した考えが芸術家であり、カウリスマキである。
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映画を見終った人むけのレビューです。
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大きく4つの四季で分けた展開。その展開展開の節目に「春」などの文字を入れていたが、冬は何と、しのはらとしたけの「雪の降る町を」という曲だった。文字ではなく、曲、それも日本の曲。ロマンティストにパリが舞台だからといった考えではないにしろ、私はこの曲が出てきて、カウリスマキのロマンティストさにビビった。さらに、話は「雪の降る町を」で終わるのだが、その前に一人の女性の入院費用のために、奔走する3人の男の「春」の前触れをカウリスマキは挿入している。遊びではなく真剣に、自分の肉である道具を切り売りし、一人の女性のために立ち上がる。これ以上の「春」の前触れをどう描こうか。
救いがない映画にも思えるが、芸術家である由縁の生き様がそこにあり、芸術家のあらたな脱皮をする姿が映し出されていた。命の散り際に自分の使命を感じたのか、それとも使命を別に見いだしたのかは定かではないし、人によって違うだろう。だが、男の後ろ姿に、男の過去に存在し得なかったオーラが漂っていた、のは絶対で確かで異論はないだろう。
カウリスマキは芸術家だ。私に、作中の彼の今後、そして2人の男の“その後”を想像させてくれた。「春」は来たのかと。
2002/12/21
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