[コメント] グッバイ、レーニン!(2003/独)
映画を見終った人むけのレビューです。
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もし、韓国やドイツと同じように、日本が東と西とで占領国が違ったらどういうことが起こったであろうか。アメリカ一国占領という状態に息苦しさとうっとうしい何かを感じる日本人は多いと思うが、そのうっとうしさや息苦しさを感じる心性の微温的生ぬるさにまで覚醒的である人は実に少ないようだ。うっとうしさや息苦しさにむせかえっていられるだけ、大甘というもの。この映画はそのことを日本人に伝えたくて作られた映画でないことを百も承知で、でもなおかつそういうことを感じずにはいられない。
家族の一部が亡命するという酷薄な事実をいやおうなしにうけとめざるをえなかった家族は三人三様に、いや父親をいれると4人ともどこかその後の人生が滑稽だが、この滑稽を感じれば感じるだけ、苦いものが喉の置くからこみ上げてくる。国家に踊らされた人間として宇宙飛行士、あるいはホーネッカー議長も同じ視野の中で等しく捉えられている。手のひらの上で踊る人間を見る観音様の視野というべきか。
構築的で、精密な機械のように堅牢で、筋金の入ったドイツらしいペーソス。侘びさびにまぶされ、ほんのりとした味付けに加工された高野豆腐のような日本人のペーソスとは決定的に異なる。この度合いの差が、首相になってわざわざ靖国に参拝に行くような脳タリンを生む土壌を作っていくのだと思う。反省を毅然と行わない国家に、未来はあるのか。日本と違って、ドイツは一度戦争を引き起こし、ワイマールという体制の下で非戦を誓ったにもかかわらず、ヒトラーという怪物を生んで戦災を引き起こした国だ。反省の次元が違うという気がする。分割占領というお仕置きを受けなかった日本人は、せめて、この映画を見て、なぜ、という問いを持つべきだと思う。
この映画の破綻をつくことはいともたやすい。ご都合主義のストーリーといえば全くその通り。こんな話あるかよ、という批判も十分可能。キューブリックやフェリーニの引用の仕方もつたないといえばつたない。しかし、そんなことを箱庭鑑賞家的に批評する人たちのレベルを遥か通り超えて、ドイツ国民の大義に関わるメッセージを遠くに伝えたいという批評性への意志と、映画という芸術に対する強い信頼感をこの映画は持っている。
いろいろな国の映画を見るべきだという気を改めて強くした。
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