[コメント] グッバイ、レーニン!(2003/独)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
まず、ドイツ映画界、そして監督に感謝したい。(もしかしたら既にドイツでも壁崩壊にまつわる映画を何本か創っているかもしれないが、)1989年突如のベルリンの壁崩壊以来15年、ようやくそれを映画化してくれたことに感謝したい。ベルリン市民、特に東ベルリン側から描いてくれたことにも感謝したい。とにかく庶民レベルの壁崩壊を題材とした生々しい映画を観たのは、私にとってはじめてなので感謝したい。
ベルリンの壁が崩壊したのはちょうど私が高校を卒業した年。それは、そんな社会経験ゼロの私が時代と世界を始めて感じた出来事でした。この15年という期間は、短いのか?長いのか?
以下、個人的な思いと本作の感想を記します。長いので気の向いた方読んで頂けると嬉しいです。
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<<ベルリンの壁とベルリンについて>>
私は昨年ベルリンを訪れ、東西ベルリンを歩いてまわりました。壁崩壊から15年たった今でも、街の外観や成熟度は明らかに異質でした。(商業地域の規模は西が圧倒的なのに対し、東側には開発されなかった分、由緒ある歴史上の建造物が景観を損なうことなく残っているのが特長です。)マンションも一軒一軒独創的なデザインの西に対し、東はすべて同じデザイン。空気も東側は砂っぽい感じがしました。要するに、壁はなくなったものの「西」と「東」の間には見えない壁が存在しているように感じました。
ベルリンの壁の処理について、市民の考えは大きく分けて2通りあったそうです。一つは悲惨な経験を後世に伝える為に残すべきだ、もう一つは東西ベルリン市民の意識レベルの交流の壁にもなりかねないので跡形なく取り払うべきだ、との考え。結局、ごく一部の壁のみ保存され、大部分の壁は跡形もなく取り払われてしまいました(壁がなくなった部分でも場所によっては石線が引かれています)。これは、日常の生活に壁は必要ないとの現実的な判断によるものだったと思われます。
聞くところによると、外観だけでなく、東西で市民の気質も異なるそうです。例えばタクシー運転手で言うと、東出身は一般に融通が効かないと評判が悪いようです(これは日本人がドイツ人の個性として連想するものに近いと思います)。本作で登場した東出身のタクシー運転手は融通が効きユーモアに溢れていましたが、それはやはり宇宙に行き壁を超越した体験が大きいと思います(これは世間の評判を逆手に取った設定ですね)。
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<<本作について>>
主人公が母親に壁崩壊の事実を隠し通していく中で、印象的なのは、監督志望の友人が花束とケーキを編集したビデオについて、「ほら、2001年宇宙の旅だよ」と言ったのを、主人公が納得したような仕草をしたところです。果たして壁が崩壊した直後、東ベルリン出身の彼にキューブリックを観る機会があったでしょうか? このエピソードに私は、母親だけにでなく友人にも「ごまかし」を使う主人公の内面、すなわち自由社会における彼の戸惑い、更には逃避をも感じました。
母から過去の亡命の試みを告白された時、主人公は母が十分に現実を受け入れるだけの度量をもっていることが判ったはずです。にもかかわらず、死ぬまで母には真実を伝えません。母は空を行くレーニンと向かい合った段階で凡そ察しがついていたんだと私は思います。その母はソ連出身の彼女から事実を聞かされても、主人公には何も知らないフリをします。その頃にはもう、母は息子が奮闘する理由まで含めた事態を”息子以上に”判っていたのではないでしょうか?
このように本作は「母親に真実を知らさない家族の奮闘」を描きながら、実は「自由主義社会に困惑し直面できないでいる主人公」と「主人公に否といえない周りの人々」を描いていたと思います。 それは、今もベルリン市民に「影」を落とす「心の壁」を描いていた、ということでしょう。 本作がそれをコミカルに描いたのも、シリアスに考えるのではなく、前向きなフレッシュな力で新時代を乗り越えようとベルリン市民・ドイツ国民に訴えたかったからだと思います。
空行くレーニンを見送りながら・・・ 「グッバイ、レーニン!」
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<<監督の映画に対する思い>>
本作は、キューブリック監督へのオマージュを随所に感じました(主人公の名前がアレックスであることと(実際そっくり)、部屋を改造する際の早送りとメロディは「時計じかけのオレンジ」からですね)。また、元宇宙飛行士と映画監督志望の友人をキーマンとして登場させ、更には父親宅では子供向けの番組に宇宙パイロットを描いていました。ラストは母の遺灰の打ち上げで終わります。
このように「映画」と「宇宙」が本作の隠されたキーワードと言えそうです。宇宙は壁を乗り越えることの象徴と言ってもいいでしょう。私はここに作者の、映画には「心の壁」を乗り越えさせるだけの力があるはずだ、との信念も感じます。
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