[コメント] キューティーハニー(2004/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
神様は冗談がお好きらしい。へっ。 今までサトエリに関しては、「まあ、顔はアレだけど、カラダはいいやね」位にしか思っていなかったのに、この映画を見て以来ワシの「サトエリ観」は、「ダイキライ」へと格上げ(下げ?)されてしまった。
白いブラにショーツ一丁で「ちっともエロくない」のは、「人としてどおなのよ?」ってか、「女(しかも若い)としてどおなのよ??」と激しく疑問符に包まれた。
「多分、この人(サトエリ)は普段、家でもこんな無防備な姿でこの格好で寝ころがって、焼酎とか飲んでいるんだろうなあ」と思わず、コチラ(観客)に思わせる「監督の手腕」って、この場合、優秀なの?駄目なの??
少なくとも「若い女性」ってのは、おへちゃだろうがその性格に多少の難があろうが、その場にただ、居てくれるってだけで、まるで瑞々しい花が活けられたかのようにその空間が瞬時に和み、優しい空気に満たされるものだと信じて生きてきたオバチャン(ワシ)にはこの、「監督の通り一遍の視線」(ほら、あんたら半裸の若い女が出てきたらソレだけで萌えるダロ?的投げやりな画面提示)は衝撃ですらあった。
サトエリが下着姿だろうと、入浴してようと、コスプレしてようと、「全然あり難くない」 なんか「不潔な感じ」すら漂うのはどうした事か??
サトエリはパンツ一丁の筈なのに、日曜日の早朝にやっていた「実写版セーラー・ムーン」の「レオタードパンチラ」に負けている。
いやー、コレ(「キューティーハニー」)に比べたら、あの「セーラー・ムーン」は本当に素晴らしかった。 若い娘さんの躍動感が満載で、アクションも頑張っていたし、なんと言ってもただ画面に彼女達の姿が映るだけで、「おぉ、なんだかあり難い」と思わず画面に両手を合わせたくなるような、「視覚的純情ぶり」が美しかったのだ。
そもそも「キューティーハニー」とは「父娘の恋物語」的な側面もあるが、その一方で、「母vs娘の戦いの物語」という側面があると感じる。 「シスター・ジル」は「母親をその代表とした成熟した女性」の象徴であるし、一方「ハニー」は思春期まっただ中、性欲も芽生えて「そろそろセックスも経験してみたい」と思い始めるティーンエイジャーの象徴である。
その両者の対立、「コドモという時代にあっては、コドモはセックスなんかしちゃいけません」「家庭という枠の中でセックスしていいのは親世代だけです」という母親の論理と、娘の「だって、してみたいんだもーん、ちょっと怖いけどね♪てへっ」という理屈のぶつかり合う話しだと、なんとなく思っていたフシが(ワシの中に)あったので、この映画で、「シスター・ジル」がオッサンであった時点で、「ええええーーーー」(驚愕の叫び)であった。
そんな問題をはらんでいると思わせつつも、当時の流行のスゥインギング・ロンドンな味付けと、イカシた音楽でスタイリッシュに見せたのが、(初代)テレビアニメの「キューティーハニー」だと思っていたので、この庵野監督の「センスの無さ加減」にはガックリと落胆させられた。
肝心のCGでのアニメっぽい表現も「お?良いかも??」と思わせるのはホンの一瞬。 時々アニメによって語られるシーンでさえも「通り一遍のアニメ」でしかなく、そこにセンスや美意識、目を見張るような監督独自の解釈は何処にも見られない。サビシイ。
「才能無いんだなあ」とシミジミと庵野監督に気の毒な気持ちを抱いてしまう映画であった。 「シスター・ジル」にオッサンを起用せざるを得なかったっつーのも、監督自身が「性欲を持った成熟した女性を知らない」からだろうな。と思えば理解できる。 そして、そのモデルたる監督自身の「母親像」というものにも相当な歪みがあるな。と言うことは伺えた。
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