[コメント] アンドロメダ…(1971/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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世の中の作り物(生き物含む)が何かの拍子に壊れた場合には原因がある。「原因はこれだ!」と(勘で)言ってそこを中心に補正する方法(勘が勝負。なんだけどこういう奴に限って勘が最悪)。他に「多角的に検証して結論を導こう」という検証方法。強引に最大負荷をかけて原因を積極的に検出する方法(これはメーカーがよくやる手)。
この映画は各ジャンルのエキスパートを招集しそれぞれの分野で未知の生物の検証をする。つまりは上記の「多角的に検証して結論を導こう」ってやつだ。これの長所は一人じゃ絶対に思いつかない解決法が時として見つかることだ。欠点は時間がかかること、全体が把握出来ないところだろう。有能なリーダーが必須。しかし往々にして大規模な研究所や会社はそういう方法を取るものだし映画的ヒーローが革新的な解決案をピコーンと思いつくよりはこの方法は断然まともでリアルなのだ。そういう意味でなにより感心したのはヒーロー不在になってしまうこの方法を敢えて採択したという事だ。最近は地味な研究者にスポットがあたる番組があったりして注目されているけど世の中が平穏無事に見えるのはこういう人達の影の努力の上に成り立っているのだね。
人は未知のものには*偏見を持って恐怖を煽る。或いは無知ゆえに後先考えなしに友好的に近づくものだ。 この両者の対応は実に文系的な対応だ。映画は基本的に文系の人が沢山集まって作るので(中には体育会系もいるが)未知のものシリーズは大抵上記*のパターンに収まる。
これがこと理系となると俄然対応は違って、「未知のもの」は誰も解いていないパズルを解く大いなる喜びとなるのだ。典型的なシーンとして全滅した村で死体を観察する所がある。文系映画なら平凡な一家族が瞬時に死を迎えた恐怖を訴えたりパニックになった人々の人間像を描いたりするものだ。しかしこの村の観察をする科学者達は人の死という悲劇要素よりも死因を探るためにじっくりと観察する方を優先する。ついでに惨劇を見た恐怖をプロ的な意思で抑えている様な演出すらしない。手首を切って粉状になる血液に興味深々の興奮を映像化するわけだよ。
この(ヒーロー不在の)テンポは最後まで延々と続く。敢えて映画的ヒーローシーンと言えば残り数秒で核爆発を切った例のシーンだろうか。ここが最もこの映画で不要だと思ってしまうリアリズムがこの作品にはある。
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