[コメント] スチームボーイ(2004/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
機械の歴史
大友が描き始めた時代は機械の複雑化、大型化がちやほやされた時代だった。 何でも複雑になっていけば大きくなっていく時代。電卓の機能に大部屋丸ごと 使っていた時代だ。この当時の大抵の人達はだから近未来は恐ろしく巨大化された 機械の中に人々はこじんまりと生活していくと想像していた。そしてやがてはその 機械に翻弄され機械に使われていく人間・・・そう思っていた。1980年中盤までは誰でも持っていたイメージだ。
そういう中で逆に複雑な機械を制御する事で近未来を表現しようとする人も現れる。(行き過ぎた狂博士を気取るというスタンスもあっただろう) 富田勲やクラフトワーク、YMOがそうだった。その最終バージョンが大友の前作『アキラ』であり 未来に行けば行くほど世の中は大型化し複雑になっていくと当時の人々を不安に陥れたのだね。
ところがアキラ以降世の中は彼らの予想外の方向に急展開し始める。 パソコンに代表される半導体チップ、積層型基板で成り立つ「コンパクトマシン群」だ。 ある運動を伝達するのにそれまでは「ボタンを押す→電気信号を送る→装置が起動する→カム、クラッチ、ギアで 動力を伝える→最終部品が動く」であったのにこの新マシンは 「ボタンを押す→チップにIO信号を送る→プログラム動作→最終部品が動く」という工程にしてしまった。 これは製品をコンパクトにするという意味以外に目視でその凄さが理解出来ていたものが 集積回路により一瞬でしかも見えない、というものにしてしまった。
つまりYMOの巨大なセットと複雑な配線はTVの前に置かれたスーパーファミコンと同等レベルになり 大友が描いた複雑怪奇な機械群は今や基板設計用CADの画面内だけで 済むようになってしまった。しかも恐らくは近未来として想像されたサイズの1/1000いや、1/100000となって。
それが大友を過去の最も伝達機械が活躍した蒸気機関時代に戻らせた主な理由なのだ。 最新鋭のデジタル機器を使いCGアニメを作る監督が求める世界が今や失われた世界だというのが なんとも皮肉だ。
ところで評価が低いのはそれではない。なんなのだ、この人物描写の甘さは。 あくまで映像表現にこだわる、というスタンスは理解できるしそれだけを見に行った。 しかしね、3次元アニメに載せる2二元アニメキャラの幼稚さはそのギャップが凄すぎて 無視できない。
せめて無視できるレベルにしてくれ。登場人物の演出、台詞、こういうのに自信が無いなら 一回プロの役者に「おまかせで」やらせるのはどうだ?少なくともあんなボケ演技はせんよ、人間は。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (12 人) | [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。