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[コメント] ロング・エンゲージメント(2004/仏=米)

遊び心に冒険心、外への扉に愛と奇蹟。ジャン=ピエール・ジュネは私のお気に入りの探偵で、彼は何年かに一度、私の探し物を手伝ってくれる。私は、良く物を失くすので、とても助かるのだ。
町田

1er:私の小さなJPジュネ論、あと

ジャン=ピエール・ジュネはよく「妄想家」と呼ばれる。或いは「変態的」とか「自閉症」とか「箱庭的」などなど。ファンの言葉で、勿論、悪意から出たものではないのだろうが、私にとってはジュネはセンスの良い、とても鼻の利く「探偵」に他ならず、実際、彼は何年かに一度、私の探し物を手伝ってくれている。その割に彼の作品にロクなコメントを書いていないのが、お恥ずかしい限りなのだが、この批評空間に辿りついたのも彼の『デリカテッセン』なる得体の知れぬ映画について詳しく知るためネット検索しているときだった。如何にもとってつけたような嘘みたいな話だが本当のことである。(そしてこのシネスケを通して彼の『ロスト・チルドレン』に出遭うことが出来たし、フランス公開前の『アメリ』を心待ちにすることが出来、変な先入観に囚われないで済んだのだ。)

さて、これまでもジュネは、「探す(Chercher)」という行為に特別の意味が込められた作品を、私たちに贈り届けてくれて来たわけだけど、『アメリ』に次ぐこの最新作に至っては、もう、何の衒いも恥じらいも無く、真っ向から「愛する人を探し求める」、もう本当にそれだけを描く、メロっメロでコテっコテの戦時下ラブロマンスだ。かといって勿論、声高で無粋な戦争映画などではけしてないし、それ以前に、ここで描かれる戦争なんてのはただの背景で、時代や地名、敵が誰かなんてことは、知らなくたって判らなくたってどうだっていい。ただ戦争、それだけが判れば、別に日本の戦国時代だって構いやしない。私たちはただこれを、私たちに最も身近な、身近になりそうな戦争に置き換えればいいことだから。

で、私は、

洋の東西を問わず多岐に渡る豊穣な「映画的記憶」(*)を含みつつ、軽快な遊び心と適度な下世話さ、変幻自在のカメラワークとキャンスティングセンスの妙、小道具使いの巧みさで構築された、紛う事無き独自のジュネ・ワールドを、その旨みを、133X2計約4時間半、隙間無く、満喫させていただいた。

フランス文学、或いはフランス映画であることを誇らしげに表明するかのような、イメージと(音として詩としての)言葉の洪水の如き本作を、はなっからミステリとして完璧に把握しようなどというのは、日本語字幕に頼っている限りは多分絶対に無理だろう、と最初の30分ほどで悟った私は、矢継ぎ早に出てくる人名やら階級、地名などは一旦全部頭から捨て去って、詩的に韻を踏んだ与太話の意味付けについて深く考えるのも止めて、ただひたすら、「きっと訪れるだろう奇蹟」を確信しながら、オドレイ=マチルドの表情を「見つめ続けていた」のだが、結果としてこの方法は功を奏した、というか大成功であった。(物語の鍵となる重要な人物やアイテムは、直接的に視覚や聴覚に訴えるよう強調されており、人名や役職を丸暗記せずとも「体型」や「髭の形」を目に焼き付けておくだけで、概要を掴むには充分だった。)

(しかし、それでも、この映画が多分、非常な不評のうちに終わるだろうことを私は確信している。上映時間の長さや音楽の衒いの無さは『アメリ』で獲得した日本のファンを納得させるものではないだろうし、ミステリとしてはその不親切とも云える展開の早さと唐突さに、置き去りにされてしまう人が、多分続出するだろうからだ。というか、映画が終わって席を立って、廻りの人の皆が皆、そのように話していた。)

さて以下はネタバレとなる。

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2e:ミステリとしての感想と批評。

(私は本作を、一般公開の土曜日、仕事帰りに独りで新宿歌舞伎町で観たのだが、予想に反してとても空いていて、しかも入れ替え制ではなかったので、二度続けて見ることが出来た。基本的に、私は同じ映画を二回観るということをしない性質なのだが、あまりの展開の早さと人物の識別し難さに混乱したため翻意したわけである。ミステリとして愉しむのは次回にしよう、今回はオドレイとカメラに集中しよう・・・どうせ結末は判っているのだし、と。)

ミステリとして、まず非常に古典的である。物語の舞台となった20世紀初頭に流行していた「顔の無い死体」と「人物入れ替わり」のトリックが主軸となっている。しかし、一切無駄の無い、最小限に切り詰められた情報開示によって、予断を許さない緊張感を保っており、二度の鑑賞に充分堪える完成度である。

勿論、完璧ではない。幾らかの強引さもある。

それは古戦場で偶然、犬が地下室を掘り返してくれたことや、兄を失くしたドイツ人女性とレストランで隣り合わせていたこと、などを指しているのでは勿論、ない。そんなものは「映画的省略」「視覚化」であって、こういうことを幼稚な絶対現実主義的観点から論うことには何の意味も無い。(あ、抑えていたのに毒が出た。)

もっと決定的なこと。それは

何故、はじめに逢ったスペイン風邪のエスペランザ伍長は、農夫(ノルマンディ二等兵)が妻に宛てた手紙の控を保存していたのか?

ということである。「原書は既に未亡人に送った」と本人は云っているし、実際、妻と子は亭主に再会できているわけだから、マチルドが手に入れたのは間違いなくコピーのわけだが、そうすると、上記の何故?が浮かぶのである。幾ら終戦直後とは云え他人に宛てられた手紙の写しを取って、しかもそれを第三者に譲渡したりするものだろうか?

ここは少々、不自然だ。

彼がそれが暗号文かも知れないと気付いてそれで写しをとったというなら、その場でマチルドに仄めかしているはずだ。しかし、そうすることは、私たちの大好きな「セレスタン・プー」の存在意義を薄める結果に繋がる。ここは伍長を詩の暗記の名人という設定にでもして、「ノルマンディの手紙だけは既に未亡人に送り届けた。だからこの遺品箱の中には無い。ただ遺書にしては実務的で変わった文面だったので内容は全部覚えている。今、紙に書いてやろう。」などと言わせておいたほうが、良かったのでは?

(因みに原作は、マルセイユ生まれのベテラン脚本家セバスチャン・ジャプリゾが、1991年に発表したもので、日本語翻訳版も1994年『長い日曜日』のタイトルで東京創元者から出ている。そしてシャブリゾは2003年、この映画完成を見ず亡くなったとのこと。ご冥福を祈りします。)

*私の場合は、具体的には『ひまわり』や『また逢う日まで』『軍旗はためく下に』から『担え銃』『のんき大将』そして『裁かるるジャンヌ』までを想起した。他にも勿論、あるんだろう。

(評価:★5)

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